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で、普通の物語、青春ものとか恋愛ものとか家族ものだと、「何かの苦難を経て成長する・つきあう・仲直りして家族再生」みたいなリアリズムになる(というか「破滅する・別れる・家族崩壊」って方がリアル、いや「何も変わらない」って方こそホントのリアルかもしれないが)。んだけど、実はそこでは「主人公の資格」ってのはあんまり問われない(『Sons』なんかは別格なのだ)。努力して「いい子(善人)」になる(なろうとする)、みたいな素質は必要だろうけれど。でも一見、普通の青春物語である『ドニー・ダーコ』では、その「主人公の資格」が“スーパー”に問われているのだ。この仕掛け――物語世界を破壊し、かつ物語世界を救済するために、主人公の資格が与えられているって構造に、僕は強く惹かれるのだ。

※で、(前回から)ずう〜っと迂回しまくり避けまくってきた、『ドニダコ』「ネタバレ」モードに入る。映画『ドニー・ダーコ』を(あるいは『最後の誘惑』や『死霊のはらわた』や『キャリー』なども)まだ観ていない人は要注意。できれば観てから読んで欲しい。


つまり。ドニー・ダーコは自らの死とひきかえに、周囲の人々を救うことになる「救済者」だ。そして救済方法は「やり直す」こと、1988年10月2日から30日までに至った時間線を「なかったことにする」ことによって、人々を救うのである。「28日と6時間と42分12秒」の間にあったことは、可能世界のひとつとして消滅し、人々の「忘れてしまった夢のかけら」へと圧縮されて微かに残るだけで、ただその「なかったことになる一月の未来の記憶」が、おそらくカウンセラーのサーマン先生に「救世主としての彼の自己犠牲」を感得させる。カレン・ポメロイ先生は夢の中で彼の『破壊者』的反社会行為の「正しさ」にたぶん溜飲をさげ、彼女の横で目覚めるモニトフ先生の方は、自らが導くことになった彼の自己犠牲について無意識に検証しているのかもしれない。そしてイカサマ自己啓発屋のカニングハムは自らの罪が暴露され「た」恐怖に震え、セミナー事業を本来の慈善行為へと転換するかもしれず、児童ポルノ犯罪への加担をやめようと決意するかもしれない。キティ・ファーマーもカニングハムの本性を直感的に知ることになり、教材への導入をためらうきっかけとなりそうな夢の啓示を受けたと感じているようだ。デブのシェリータ・チェンは、彼の励ましの言葉を微かに憶えている。そしてフランクは、ひょっとして帰宅途中にヴィジョンを見ることになったのかもしれないが、夜なべしてのハロウィーンの仮装衣装のデザインの手を休め、そっと穴が開いたはずの左目をなぞる…‥。そしてドニーの姉エリザベスはフランクに送ってもらって自宅のドアに滑り込んだ瞬間、恋人フランクがグレッチェンを轢き殺してドニーに撃ち殺されるまでの1ヶ月を無意識下に感受し、母と妹サマンサは1月後に飛行機事故で死ぬ未来が消滅したことを識らずに識る。母と二人、暴力的な義父から逃れてきたばかりのグレッチェンは、その義父に母が襲われ、あげくに自らが轢かれて死ぬ未来を、やはり憶えてはいないはずだが、何故かドニーの母と心が通じ合ってしまう不思議に、少しとまどうのだった…‥。

こうしてドニーは死ぬ。常識的に見れば「不慮の不思議な事故死」で、別の未来から墜ちてきた飛行機のエンジンの謎は残るが、彼を識る人々の思い出の中で「若くして死んだ人」の一人くらいに記憶されることになるのだろう。だが本当は彼のおかげで不幸な未来がささやかながら改変されたのだ。ブッシュ・シニアが大統領になることは回避できなかったし、世界が冷戦終結後の民族対立や覇権争いの闘争状態に向かうことも止められはしなかった(湾岸戦争も、その息子ブッシュ・ジュニアによるイラク戦争も回避できなかったし)が、ドニーの周囲の人々にとっては、「救世主」として「よりよき」未来をもたらしたのだ。ひょっとして、僕らの周囲で、若くして死んだ人達は、こんな風に世界を少しずつ救って、死んでいったのかもしれない。タイムトラベルに乗り物が必要なんて理屈は、ただドニーにとってのみ必要だっただけで、隠れたスーパー・ヒーロー達は「自らの死をもってやり直す」能力を、誰もが持っていたのかもしれない。1944年に書かれたロバータ・スパロウの『タイムトラベルの哲学』もドニーにとってだけ必要な「予言の書」であって、「夭折者」達はそれぞれの予感に従って世界を救済して死んでいったのかもしれない。そんな風にして、世界は少しずつ救済されていて、僕らのいる時間線の周辺には、たくさんの「破滅に向かった世界」の残骸が横たわっている、と考えることもできる。それらは積み重なれば「人類の危機」とか「宇宙の破滅」へとなだれ込んでしまう、愚かなヒトが辿る必然的帰結だったのだが、彼ら「夭折者」達が少しずつ「周囲の人間を救いたい」という意志を発揮したために、この世界はまだ(辛うじて?)存続しているのかもしれない。だから、この『ドニー・ダーコ』という物語世界は、結末に至って消滅し、それゆえドニーはヒーローの資格を得るのである。


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