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ニコス・カザンヅァキス(カザンザキス)原作、マーティン・スコセッシ監督の『最後の誘惑』(88)は、実はキリストの「ヒト」としての迷いを描いたものだ。故にキリスト教右派から徹底的に攻撃された。製作時からはだはだしい妨害を受け、公開時にはテロを警戒して劇場入り口で厳重な身体検査が行われ、それでもフランスでは上映中に爆弾が破裂したという。未だにアメリカの大手ビデオ屋でこのソフトを置くことは禁止されていたりするらしい(詳しくは水原文人「映画と信仰〜『最後の誘惑』をめぐって」などを参照のこと)。だから88年を舞台にした『ドニー・ダーコ』劇中で、この映画が『死霊のはらわた』と二本立て上映されているのは、かなり痛烈なジョークでもある。そして『ドニー・ダーコ』の物語構造は、『最後の誘惑』をなぞってもいるのだった。

『最後の誘惑』の後半、磔になったイエス・キリストは、守護天使に密かに助けられ、普通の人生を送ることになる。結婚し子を成し、地道に働きながら老年に達するまでが描かれるのだ。普通のヒトとして生きてきた彼自身とは別に、キリスト教は発展しつつある。そして今際の際にユダらが彼を責めに来る。さらに守護天使がサタンだったことが発覚する。つまり「普通のヒトとしての人生を送る」ことが、キリストへの最後の誘惑だったワケだ。そう悟った彼は、神に祈って「タイムスリップして」磔の瞬間に戻る。そうして「成し遂げられた!」と叫んで死ぬことで、「神の子」となるのだ。同じ構造でドニーもまた1ヶ月の「普通の人生」を送った後で、わざわざ死ぬことになる1ヶ月前の自室へと戻る。ヒステリックに彼が笑うのは、その死の覚悟の崇高さとは別にして、自らが「救世主」のパロディを演じたことになるのに思い至ったからなのかもしれない。もし『最後の誘惑』がキリスト教原理主義者にとって「現代の焚書」に相当するなら、それを受けて描かれた『ドニー・ダーコ』は「冒涜」と言われかねない仕掛けになっているのだ。キリストというスーパー・ヒーローが、可能世界でヒトとして生きた後に、「よりよい」世界の為に「やり直し」て死ぬ。その後の初期キリスト教徒の苦難や、覇権宗教となってから現代まで続くそれ以外の宗教への、時には残虐な、それでなくとも抑圧的なふるまいのもたらす悲劇を、キリストは回避できない。でもあの磔死の時点での選択は、彼にとって「世界を救済する唯一のもの」だったことは、確かなのだろう。そう『ドニー・ダーコ』は語っているのかもしれない。

そして、『スパイダーマン』というスーパー・ヒーローものを、ティム・バートン監督『バットマン』以降の「映画のアメコミ・ヒーロー」像として、明晰に映画化してみせたサム・ライミ監督のデビュー作が、「スプラッタ・ムービーの起源」となった『死霊のはらわた』(82)である。この作品の前身となる自主製作映画『森の中でWithin The Woods』では、呪われた死霊をインディアン(ネイティヴ・アメリカン)が封印した墓地を、うっかり暴いてしまったことから起こる惨劇として描かれ、それが『死霊のはらわた』では『死者の書/ナチュラン・デ・マント』の呪文を研究者が録音したテープを、うっかり再生してしまったことで、「悪い死霊Evil Dead」を死して憑依させてしまうという設定に変更される。セルフ・パロディ色も強くなる続編『死霊のはらわた2』(87)『キャプテン・スーパーマーケット/死霊のはらわた3』(93)では、この本が『ネクロノミコン』の別名だとされ、シリーズ通しての主人公となったアッシュは、中世イギリスへとタイムスリップしたり、文字通り「英雄」になったりするのだった。『ネクロノミコン』は現代アメリカ神話のひとつ、H・P・ラブクラフトが創作した「クトゥルー神話」の重要アイテムで、太古に封じられた「宇宙的悪」が善神との暗闘を現代まで続けているって経緯や予言をしたためた禁断の書(古代の“狂った”アラブ人鬼神論者アブドゥル・アルハザード著とされる)にして、それ自体が「呪われた力」を持つって設定のもの。『死霊のはらわた』では悪霊を呼び覚まし、アッシュの友人や妹や恋人を殺して憑依する「呪文」の典拠とされる。ちなみにスティーヴン・キング『IT』(86)の変幻自在の怪物の正体も、この「宇宙的悪」である。28年周期でデリーという町の住民の意識下に働きかけて犠牲者を選び、密かに生き続けているのだ。アメリカの各所には、太古に外宇宙から飛来した「悪」が眠っているらしい。だからインディアンによって封じられた「悪霊」って初期設定も、実は矛盾なく整合することになる。

ドニーが『ネクロノミコン』ならぬ『タイムトラベルの哲学』という予言書に辿り着き、タイムスリップして「英雄」になるのは、だから『死霊のはらわた』シリーズのさらなるパロディでもあるし、『ドニー・ダーコ』はミドルセックスの町の住民、ドニーの周囲の人々に憑依した「悪(It)」が、ドニーによってひとまず退治されるという物語でもあるのだろう。また余談だが、キングの処女長篇『キャリー』(74→ブライアン・デ・パルマ監督による映画化76年)という「郊外の青春もの超能力ホラー」、虐げられ続けてついに世界を破壊する17歳の少女キャリーの名が、ドニーが8歳の時に死んだ飼い犬の名として出てくることにも注意したい。ドニーもキャリーが被った「サバービア(郊外)の同調圧力(by宮台真司)」の犠牲者にして、世界を破壊する超能力者なのだから。


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