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Jacques TATI

ジャック・タチ映画祭

text : yuki takeuchi

みんなが大好きな、ユロ伯父さんさんが帰ってきた!フランスを代表する映画監督&喜劇役者ジャック・タチ。“郵便夫のフランソワ”や“ユロ氏”といったキャラクターが多くの観客に愛され、新しい喜劇映画の歴史を築きてきたタチ。生涯で監督した劇場用長編映画は5作品+TV用に制作された作品が1本のみと寡作ながら、ひとつひとつの作品はいまも根強く愛されつづけている。映画監督たちからの評価も高く、彼にリスペクト、オマージュを捧げる監督も多い。そんな彼の全6作品が、当時の彼のこだわりを現代に忠実に再現するために、最新の技術を駆使して、完全デジタル復元。しかも、日本劇場初公開となる、短編作品や娘ソフィー・タチが監督した作品など短編7作品も同時上映!!彼ならではのユーモアに笑ったり、彼が描く人間賛歌に小さな愛や切なさを感じたり、美しい映像の構成にため息をもらしたり…、いま観てもなお、新鮮で楽しく、そして、観る人を幸せにしてくれるジャック・タチの世界を存分に堪能する貴重なチャンス。ふらっとやって来るユロ伯父さんのように、束の間のお祭りがやって来ます。

ジャック・タチ

ジャック・タチの物語

本名ジャック・タチシェフ。1907年10月9日生まれ。パリ・サンジェルマンのリセに通う夢見がちだった少年は、大人になりついた兵役で様々な人間観察に興じることになる。除隊した後、ロンドンのラグビーチームに所属すると、チームの行きつけのレストランで自らパントマイム等を披露するようになり、夜には興行をもつまでになる。そこで知名度を上げたタチは、パリの有名なミュージックホールに立ち脚光を浴びる。それをきっかけに映画への道を模索しはじめ、短編「乱暴者を求む」(34)、「陽気な日曜日」(35)、「左側に気をつけろ」(36)に出演、脚本も手がける。46年に監督デビューを果たした短編『郵便配達の学校』は、サイレン映画の再来と高い評価を得た。前作のヒットを機に、49年、長編『のんき大将 脱線の巻』を製作。これは前作で登場させた郵便配達人を再度登場させたものだが、これが大人気に。ハリウッドから郵便配達人を主人公にした別作品のオファーも届いていたが、このとき既に新しいキャラクターの構想があったタチはすべて断る。そうして生まれたのが『ぼくの伯父さんの休暇』(53)に登場する“ムッシュー・ユロ氏”。つづく、『ぼくの伯父さん』(58)も世界中で大ヒット。興行的にはこの時期がもっとも成功をおさめたときであった。周囲の圧倒的なユロ氏への関心をよそに、タチは独自の“喜劇の民主主義”を構想し、67年、巨額の制作費を注ぎ込み、戦後フランス映画界きっての超大作『プレイタイム』を完成させる。ユロ氏の存在感は大衆のなかで拡散し、それまでユロ氏がひとりで担ってきたユーモアは多くの人々にも託されるようになった。しかし、周りの理解が得られずに興行的に大惨敗。タチの目指した理想の喜劇をまだまだ新しすぎるものだった。このときの負債が重くのしかかり、この後、長きにわたってタチを苦しめる。脚本とユロ氏としての出演のみが許された状態で、彼としては本意ではないユロ氏をクローズアップした(周囲が望むような)設定で『トラフィック』(71)の制作が開始される。結果的には監督は交替となり、本来のタチによる監督、脚本、主演ということになったが、内容はむしろ彼が目指した喜劇ではなかったようで、本人としてはあまり納得のいくものではなかったと語っている(しかし、身に染みるような情緒も併せ持った素晴らしい作品です)。これがフィルムで制作された最後の作品となった。73年にスウェーデンのテレビ局の依頼により『パラード』を監督。テレビ放送された後、ヴィデオからフィルムに変換するという当時の最新技術によってパリで劇場公開もされた。74年には先の負債により長編4作品の権利をも失ってしまう。次の長編として『コンフュージョン』のシナリオの執筆が完成した82年、誕生日を迎えてほどなくした11月4日に75年の生涯に幕を下ろした。

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© Les Films de Mon Oncle - Specta Films C.E.P.E.C.

『ジャック・タチ映画祭』

4月12日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー

配給:日本コロムビア/配給・宣伝協力:Playtime/提供:メダリオンメディア
後援:フランス大使館、アンスティチュ・フランセ日本/協力:ユニフランス・フィルムズ

オフィシャル・サイト

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