砂漠の中、リア王のように全てを喪う人々の悲劇『キング・イズ・アライヴ』


ラース・フォン・トリアー提唱の挑発的“純潔の誓い”映画
“ドグマ”シリーズの新作『キング・イズ・アライヴ』登場!
テキスト:梶浦秀麿

●“ドグマ映画”『キング・イズ・アライヴ』でインテリ映画通になろう!


「何が起きたのか、お聞かせしよう。彼らは砂漠を恐れていた。旅は果てしなく長いものだった……」------カナナ

 アフリカの砂漠の真ん中で、観光客を乗せたバスが道に迷う。うち捨てられた廃墟の村で、乗客たちは助けを待つ。サバイバルの始まりだ。黒人運転手は落ち込んでいる。中年の夫婦ものや、一人旅の老人や若い娘、親父付きの若い夫婦もいる。村には世捨て人らしき現地人が一人いたが、言葉は通じず、ただ彼らを見つめている。食糧は村の倉庫にあったニンジンの缶詰がわずかばかり。最初の晩はラジカセで即席のダンス・パーティをしたりもする。だが、陽気な気分はそう長くは続かない。昔、舞台俳優だったという男が、手慰みにシェイクスピアの『リア王』の台詞を思い出しながら筆記しだす。何もかも失い、砂漠を彷徨う王の話。最愛の末娘クローディアさえも奪われ、狂い死ぬキング・リア------この場の状況になんて似つかわしい、そしてなんて不吉な悲劇。だが、彼らはいつしかその芝居の稽古に励み始めるのだった。退屈を紛らわすために? または考える時間の膨大さに耐えきれないがゆえに? あるいは迫り来る死を忘れるために? 待つ時間の長さに、彼らは次第に精神の均衡を失っていく。あるいはそれぞれが「本当の」自分自身を、ついに見出したのかもしれない……。果たして、彼ら現代人達------王を持たない、いや個人主義者なので自らが自らの王である人々------は、“アライヴ”することが可能か

 っていうのが『キング・イズ・アライヴ』のストーリーである。で。はっきりいって、何も知らずにボーっと観に行くと「ちっとも面白くない」って怒っちゃうかもしれない映画だ。「シェイクスピアぁ? 『リア王』? 知るか!」なんて人も楽しさが半減するかもしれない。いや、“ドグマ映画”が「アマチュアのドキュメンタリー風自主映画とどう違うのかわからん」ってな風に思うのも、ごもっともというしかない。だいたい11人もいたら、誰がどういう役なのか把握するだけで手一杯なんてこともあるだろう。しかも女性陣はみんな、揃いも揃って実生活すら何かを無理に演じているようなヤな女ばっかりだし、負けず劣らず男性陣だって全員みごとに滑稽で情けなく中身が無さ過ぎる。まともな共同作業すらできないって愚かな人物像が、リアリズムなんだってのは納得したとして、じゃあそんな連中が『リア王』の芝居の稽古なんてインテリめいた行為をするかどうか? ------と、まずケナしておく。その上で、この映画の観方ってのを考えてみよう。

●シェイクスピア流行りはいつの時代も同じ。『リア王』絡みなら『シークレット/嵐の夜に』要チェック!

 まずシェイクスピア劇。ごく最近でも、『タイタス』や『恋の骨折り損』、『ハムレット』などなど、シェイクスピア劇の映画化は盛んである。ちょっと前だとデカプーの『ロミオ+ジュリエット』とか『恋におちたシェイクスピア』なんかは興行的にも成功したようだし。でも、そこからシェイクスピアの戯曲をいろいろ読み出すなんて奇特な人は、少ないかもしれない。大仰な台詞や謎の多い構成に匙を投げちゃう、なんてこともあるだろう。つい最近も、シャトナー研って小劇場劇団が『ハムレット』をエチュード風にやったのを観たけれど、そこでも『ハムレット』の矛盾とかヘンな部分を鋭くつつきつつ、「台詞を声に出して読んでみると、気持ちえーんですよ、役者が楽しい芝居なんですよね」とか舞台上で言っていたし(ある種のメタ演劇?)。だから普通の人は近寄らない方がいいんだけど、なまじっか「劇聖シェイクスピア」とか呼ばれたりして、演劇とかアート系のインテリさんとか、文化系の学生でちょっと頭がいい人は必読文献っていうか基礎教養になっちゃってるので、知らないとバカにされる覚悟が必要ってのが、どうにもこうにも鬱陶しい存在である。この『リア王』という悲劇も、ハッピーエンドに改作された漫画とかも見かけるけれど、実際読むと救いのない話でイヤな感じ、なのだ。この戯曲を元にした『大農場』ってピューリッツアー文学賞を取ったアメリカ小説があって、それを映画化した『シークレット/嵐の夜に』ってのが99年9月に日本でも公開されたけど、いやもう悲惨な話でいたたまれなくなるのだった。おお、この映画で、大地主のクソ野郎の三女で弁護士のキャロラインを演じてたのがジェニファー・ジェースン・リーではないか! 今回の『キング・イズ・アライヴ』でも、劇中で『リア王』の三女クローディアを演じてるってのが、配役の面白さだ。しかも女弁護士だった『シークレット/嵐の夜に』に対し、本作ではショーパブかどっかで踊ってたらしき短い金髪のヤンキー娘、ジーナ役。しかも親父以上の歳の差である筋トレ爺さんチャールズ(デイヴィッド・カルダー)と激しい濡れ場なんかも演じてたりして(一般スケベ男性ファンの見どころだぁ、うくく)、原典の“父さん想いの心正しき末娘クローディア”も、時代が変わればムチャクチャな解釈をされてしまうものだなぁ……。性的虐待を扱った『シークレット/嵐の夜に』もエグかったけど、それと対比してみると本作もなかなかエグイのである。映画冒頭、夜中の砂漠を走るバスの中、ジェニファー・ジェースン・リー演じるジーナが、最初の台詞を吐くのだった、そういえば。「ちょっとP(小便)に行きたい」と停めてもらうのだが、クライマックスでそのP絡みの衝撃的なシーンを演じるのも彼女なワケだから、確かに東京国際映画祭で主演女優賞をとったってのも、むべなるかな。彼女と好対照の、フランスの暗いインテリ娘カトリーヌ(ロマーヌ・ボーランジェ:『野生の夜に』『太陽と月に背いて』『ヴィゴ』など)のイジワルさもエグい。僕としてはジーナの飼っていたフラワーボーイという名の犬を、妹さんがちゃんと世話してくれることを祈ろう。

 あ、余談だけど、黒澤明『乱』も『リア王』のパクリ、もといインスパイア作品なのは有名だけど、あの宮崎駿の『もののけ姫』初期バージョンの絵本(徳間書店)が、まんま『リア王』ハッピーエンド版だってのは、この前読み直して思い出したことだ。そういや彼の新作『千と千尋の神隠し』も、少し『リア王』っぽいような気もする(娘が親を救うパターンらしいし)のだが、気のせいかもしれない。

●11人の相関図を頭に入れてから観よう! 余計なお世話のネタバレ注意解説


 いかん、先走ってしまった。この映画、遭難する11人のキャラクターの相関図を頭に入れてないと、どうも印象がフワフワしてしまうのだ。暗い画面も多いし、最初は誰がどれだかわかんない感じになる。逆に言えば、顔と名前がしっかり一致するようにしてから観ると、いいのかもしれないと思ったのだ。ちょっとネタバレになるけど、えいやっと説明してしまおう。

・[1]バスの黒人運転手モーゼス(ヴジ・クネネ)はユダヤの民を荒野に放浪させたモーゼだ。ただし奇跡を起こす指導者としては振る舞えず、隅でウジウジ。中盤で人種差別的ネタに使われるが、男女関係ではプライドの高い面も見せる。『リア王』のエドマンドを配役される。エドマンドは腹違いの兄を父親暗殺の嫌疑にかける陰謀を巡らせ、リアの上の娘2人を手玉に取る野心家の男だ。

・[2]ジーナ(ジェニファー・ジェースン・リー)は上に書いたとおり。ちなみに彼女が演じるリアの末娘コーディリアは、父を諭そうとして嫌われてフランス王に持参金なしで嫁がされ、後に父の窮状を知って駆けつけるが、あえなく殺される。

・[3]カトリーヌ(ロマーヌ・ボーランジェ)も一人旅、最初にコーディリアに指名されるがすげなく断り、でも自分が一番ヒロインに向いてると思い込むヤなインテリ女役。言葉の通じないジーナをバカにしたり、とにかく陰湿さの描写が冴えている。

・んで3人組、老いた父親[4]チャールズ(デイヴィッド・カルダー)と一緒に旅する[5]ポール(クリス・ウォーカー)と[6]アマンダ(リア・ウィリアムズ)の若夫婦。最初の夜中のバスで「こういう旅は嫌なのよ」とか愚痴るのが確かアマンダで、人生に妥協して気の弱い妻を演じているようだ。一方、狼煙用のタイヤをせっせと運び、「ポールとの生活はどうだ、アマンダ? 頭に来るだろう? (で、息子ポールに)もっと体を鍛えろ!」とかいって、体が資本とだけしか考えてないのがチャールズ。エロ爺でもあり、芝居に誘うジーナにヤな条件を出す。『リア王』の次女リーガンに仕えるグロスター伯爵(腹違いの2人の息子がいる)をあてがわれる。ポールは彼の嫡子の方のエドガーを演じる。弟に陥れられる役だ。彼自身は中盤でモーゼスに喧嘩を売り、それが原因でアマンダと感情をぶつけ合うことになる。あ、彼女はリアに従う道化役である。

・それから倦怠期もとうに過ぎた中年夫婦、[7]レイ(ブルース・デイヴィスン)と[8]リズ(ジャネット・マクティア)がいる。レイは初日のダンス・パーティで若い娘をジトっと眺めて、リズに「お尻とおっぱいが好きなのね、あなたも」と皮肉られる。それにしても彼は印象が薄い。寝床での会話がないのだ。『リア王』の忠臣ケント伯爵を演じるのになあ……。リズの方はまだ感情がある。で、モーゼスをかどわかすが、手痛いしっぺ返しを味わう。『リア王』の長女ゴネリル役なのでエドマンドに惚れて次女リーガンと殺し合うんだけど、ありゃ、リーガンはこの映画に出てこないみたい。

・[9]最初にバスの進路の異常に気づき、ガス欠で停まった村で、皆にテキパキと“サバイバルの鉄則”を指示して、颯爽と独り砂漠に向かうジャック(マイルズ・アンダースン)。クールな冒険野郎のように振る舞う。で、最後の方で再登場、というか……。

・[10]最初にリア王を演じるアシュリー(ブライオン・ジェームズ)は、最初に倒れる。この映画の撮影直後、ブライオン・ジェームズ(『ブレードランナー』のレオンだ。『フィフス・エレメント』のマンローでもある)は亡くなった。映画は彼に捧げられている。

・[11]ロンドンにいたころ役者をしていて、今はロサンゼルスで舞台の仕事をしているとかいう初老の紳士がヘンリー(デイヴィッド・ブラッドリー)。『リア王』をやろうとするのが彼で、演出家の立場につく。しかしいつも暗くて悲しげに振る舞い、どうも何を考えているのかわからん感じだ。漂うトホホ感と「『リア王』やりたいっ」という思い入れがチグハグなような……。

・そして彼らを見つめ続けた語り部、[12]カナナ(ピーター・クペカ)。監督によると、ブッシュマンみたく、ミミズやサボテンなどそこらへんにあるものを食って生きてるらしい。狩猟民族なので、サバイバルもクソもなく、自然と共にいるってワケか。彼の皮肉な語りも(「バカども」とか言ってるし)よく覚えておくと、物語を重層的に楽しめるかも。

以上、夫婦2組+エロ義父1名つきでまず5名、独り者女2名(アメリカ娘とフランス娘)、独り者男4名(冒険家、演出家、運転手、早期退場者)で計11人。&語り部1名って構成だ。この人数はダ・ヴィンチ『最後の晩餐』か萩尾望都『11人いる!』か? 「女性4:男性7(ないし8)」って比率はちょっと華が足りんかな。男性陣が微妙に年齢不詳っぽいのは、みーんな砂漠で薄汚れちゃってるからなのか演出不足か、ガイジンの年齢はわかりにくいってことなのかなぁ。

●ところで“ドグマ”って何?

 さてさて、厄介なのが“ドグマ”の説明かな。ベン・アフレックとマット・デイモンがヘンな天使を演じたドタバタ宗教劇『ドグマ』ってのもあったけど、ありゃ全然関係ない。「教義」とか「定理」という意味の“ドグマ”だけど、ここでは、ラース・フォン・トリアーが言い出したアンチ・ハリウッド映画、アンチCG&アクション娯楽活劇って感じの方針で、95年春にコペンハーゲンで創設された映画監督の結社、“ドグマ95”のことを指す。『キング・イズ・アライヴ』のクリスチャン・レヴリング監督も立ち上げメンバーの一人だ。10の「純潔の誓い」ってのがあって、ロケのみ(スタジオ・セット撮影不可)、映画音楽(劇伴音楽)不可、ハンディカメラのみ、人為照明極力不可、撮影効果不可、浅はかなのもダメ(殺人や兵器不可)、SF不可、ジャンル映画不可、スタンダードサイズのみ可、監督名クレジット不可、ってな厳しいルールだそうだ。原点に戻ろうってことだろうなあ。これがストイックで高潔な映画芸術の砦死守って志なのか、新たな「宣伝戦略」の一環で省エネ的なキャッチフレーズに過ぎないのかは、最近はどうもよくわからない。

 ラース・フォン・トリアーといえばビューク主演のすんげえ映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』、大ヒット上映中ってヤツの監督だけど、主演のビョークをイジめにイジめる巧さは、実はとっても彼らしい。彼の「アメリカ嫌い」ってのも実は“ドグマ”の大きな隠れた要素なのかもしれないし、そこに象徴される「商業主義映画」批判の味は、どうも“ドグマ”映画を一様に「インテリの嫌味な映画」ってトーンで統一しているような気もする。「愚かな人間ども」って視点がどうしてもどこかにあるのだ。彼の出世作『キングダム』が、どうにも『ツイン・ピークス』ヨーロッパ版みたいな趣があるように、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』もかなり巧まれた、ある種の“受け”を意識した凶悪な映画であることは確かだ。おまけに“ドグマ”教祖もとい主導者自ら、そのルールを破って、ドーンと監督名をクレジットしたミュージカル仕立ての音楽映画(シネスコ・サイズでフィルター・特殊現像も使いまくり、あ、それ以前に殺人事件を扱ってるゾ)だってのが、なんともはや……。戒律をあっさりはみ出すその野放図さもまた、ちょっとキャッチーな営業戦略に思えもするのだ。ま、僕らは面白けりゃそれでいいんだけど、「“ドグマ”だからいい」みたいな転倒した評価をするインテリ映画ファンが出てくるのも困りモンだしなあ……。

 ちなみに“ドグマ95”の認定作品は、以下の通り。
DOGME #1 『セレブレーション』(トマス・ヴィンターベア監督)→1999年7月日本公開
DOGME #2 『イディオッツ』(ラース・フォン・トリアー監督)→2001年3月日本公開予定
DOGME #3 『ミフネ』(ソーレン・クラウ・ヤコブセン監督)→2000年2月日本公開
DOGME #4 『キング・イズ・アライヴ』(クリスチャン・レヴリング監督)→2001年1月下旬公開予定
DOGME #5 『ラヴァーズ』(ジャン・マルク・バール監督)→2000年10月日本公開
DOGME #6 『ジュリアン』(ハーモニー・コリン監督)→2000年12月日本公開

……つまり日本では、この春公開の『イディオッツ』で、やっとおおまかな全貌が見えることになるワケだ。ドグマの一員であるクリスチャン・レヴリング監督の『キング・イズ・アライヴ』は、大将トリアー親分の露払いみたいなタイミングでの上映となるのだった。ちなみに#1〜4はすべてデンマーク出身監督、#5はフランス、#6はアメリカである。以後も各国でドグマ作品の製作は進行中で、プレスによるともう#17まで決まっているとか。

以上が『キング・イズ・アライヴ』の面白がり方である。つまり、まず[1]シェイクスピア劇としての観方を掘り下げて楽しむ=新潮文庫orちくま文庫or白水uブックスで『リア王』の戯曲をチェックしておく、ビデオで『乱』とか『シークレット』をみておくことをオススメする。[2]事前にパンフなどで登場人物のキャラクターを、よっく頭に入れておくor2度観る、あるいはこのページをプリントアウトして予習しておく(笑)ってのもオススメか。で、[3]ドグマ映画ってジャンルを、ある程度理解してから観るってのもいいってことかな。上に上げた作品それぞれを比べて観るとか。そこまでしなくても、いわゆる“サバイバル映画”として純粋に楽しむ手もあるんだけど、ハリウッド的なサバイバル映画を期待すると失敗するので要注意。あくまで「ちょっと知的に」観て欲しいと思うのであった。

●『キング・イズ・アライヴ』(2000年/デンマーク=スウェーデン=アメリカ映画/1時間48分/配給:アスミック・エース)1月下旬より渋谷シネマライズほか、全国劇場にて順次公開
監督・脚本:クリスチャン・レヴリング/共同脚本:アナス・トーマス・イエンセン/製作:パトリシア・クルージャー、ヴィベケ・ウィンデロフ/出演:ジェニファー・ジェースン・リー、ロマーヌ・ボーランジェ、ジャネット・マクティア、マイルズ・アンダースン、デイヴィッド・ブラッドリー、デイヴィッド・カルダー、ブルース・デイヴィスン、クリス・ウォーカー、リア・ウィリアムズ、ブライオン・ジェームズ、ヴジ・クネネ、ピーター・クペカ

『キング・イズ・アライヴ』公式ホームページ http://www.kingisalive.com


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