[アリーテ姫] PRINCESS ARETE
2001年7月21日より東京都写真美術館、シネ・リーブル池袋、7月28日より大阪シネ・リーブル梅田にて公開 (順次地方公開)

監督・脚本:片渕須直/製作:STUDIO 4℃/原作:ダイアナ・コールス『アリーテ姫の冒険』(学陽書房)/キャラデザイン:森川聡子/作画監督:尾崎和孝/声の出演:桑島法子(アリーテ姫)、小山剛志(ボックス)、高山みなみ(アンプル)、沼田祐介(グロベル)ほか(2000年/日本/1時間45分/配給:オメガ・エンタテインメント)
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時は遙かな過去か果てしない未来か、所はこの地上かはたまた別の星なのか……ヨーロッパ中世風に見える、とあるお城から物語は始まる。「花婿となる騎士の到着を、塔の中で静かに待っている」と人々に噂されているアリーテ姫は、実は古文書を読んで見つけた古い抜け穴を通って、城下町へとこっそり出かけていた。よく童話にあるようには美しくもなく、おしとやかでもない。読書家で想像力も豊かな姫は聡明なのだが、まだその能力を活かす方法を知らずにいた。「職人達の技術は失われた魔法と似ている、人の手はモノを生み出すことができる……自分も何かを作りたい」と願う彼女は、今日も裁縫職人に働かせてくれるよう頼むのだが、得体の知れない、給金も要らないなんて少女を雇うなど、ギルドの許しもなくできるわけがないと、追い返されてしまう。しかたなく塔に戻った翌日、監禁状態での味気ない食事をとっていると、何やら城下が騒がしい。「この世には、千年も昔に滅び去った魔法使い達が残した遺物が散在する。それを探し出してきた者に娘をやる」と王がお触れを出し、今日がその期限だったのだ。我こそはと野心に燃えた騎士達が冒険の旅から戻り、様々な魔法の宝が献上される------ホログラフィックなオルゴール風の水晶玉や、アイボのように歩く四つ脚付き小箱、浸透圧差を利用して透明な林檎の形で液体がゆっくりと沈む水時計など……。大臣達はほくそ笑む。そうした宝を異教徒の商人に売ることで、王国の経済は潤っていたのだ。

騎士達には「甲乙つけ難く再試合」と申し渡し、献上されたものは宝物庫に保管される。抜け穴を通って宝物庫に忍び込んだアリーテ姫は、魔法の遺物をこっそり物色する。自分の婚礼の条件なのに、塔に閉じこめられたままで見せてもらえなかったからだ。彼女が気に入ったのは、大臣達が「役に立たない」と言っていた魔法文明時代のことを記した書物だ。夜、塔に忍び込んでくる騎士達もいたが、自己中心的な独りよがり野郎だったり美辞麗句を並び立てるお調子者だったりで、彼女に矛盾をつかれてあえなく退散する。滅びたはずの魔法使いの生き残りも訪ねてきた。遺伝子に刷り込まれた特殊能力を増幅させる水晶球を失った魔女が、それが献上されていないか探しに来たのだ。求めるものもなく、つい意地悪になった魔女は「人生に何か意味があると、まだ信じてるのかい?」とアリーテ姫に捨て台詞を吐く。「当たり前じゃない!」と答えた彼女は、ついに出奔を決意する。だが、あっけなく門番に捕まった彼女は王城に連れ戻されるのだった。

折しもダ・ヴィンチ式ヘリコプタ(ただし積載重量は少女一人とカエル一匹分くらい)に乗って、魔法使いの生き残りを自称するボックスという老人がやって来て、城内は大騒ぎになっていたところだ。彼は「アリーテ姫の呪いを解く」と言って、変身と洗脳の魔法で彼女を大人しく色の白い美人の姫に変えてしまう! 父王も重臣もボックスの巧みな弁舌に説得され、アリーテ姫を彼に与えるのだった。婚礼の支度に紛れ込んだ魔女は、魔力を失いボックスには勝てないがせめて……と「3つの願いが叶う指輪」をアリーテ姫に与える。魔女は、普通の人として生きることにしたと告げて去るのだった。本当の心を封じられたまま、ボックスの城に連れてこられたアリーテ姫は、そのまま召使いのグロベルに連れられて地下牢に幽閉される。実はボックスは、水晶玉(音声入力式万能コントローラみたいなの)の「アリーテ姫が彼を滅ぼす」という予言を恐れて、彼女を封じ込めたかったのだ。

だがボックスは、彼自ら設定した「気高くたおやかな姫」として、救出に来る王子を待ち続けるアリーテ姫の姿が、千年前に星へと旅立った同族の救出を待ち続ける自分と同じだと気づき、次第に憂鬱になってゆく。彼もまたこの星に一人封じ込められた、孤独な“ただ待つ者”だったのだ。側に置いて、自らの映し鏡として苦しめられることを嫌った彼は、アリーテ姫に宝探しの難題を与えることにする。途中でのたれ死ぬか、少なくとも戻って来られないに違いない。しかしアリーテ姫は、食事係の娘アンプルに解放のヒントをもらって、自分自身の本来の姿を、自力で取り戻しつつあった……。

原作のフェミ童話『アリーテ姫の冒険』は酷い本だった。原題を「The Clever Princess(賢いお姫さま)」というのだが、要するに「男はみんな賢い女を嫌う」という偏見から出発し、女尊男卑という男女逆差別思想で幼い子を洗脳しようとする凶悪な書物だ。原題に反してちっともクレバーに見えないヒロインが、絵を描いたり縫い物をしたり物語を書いたりと才能を発揮し、荒馬を優しさで調伏したりする……全て男には無い能力らしい。無知で滑稽な男達を嘲笑って、女性達だけで楽しく暮らすという結末は、レズビアン村のバイブルになら相応しいかもしれない。ところが、そんな童話を劇場アニメーション化した本作は、ちょっと地味ながらも、なかなかクールで深い“遠未来SF/思索系ドラマ”へと様変わりしていた。僕はついジョン・クロウリー『エンジン・サマー』なんかを思い浮かべてしまったんだけど、高度な技術が喪われて、中世か近世初期あたりにまで退化した人類文明ってな舞台設定は、『ナウシカ』とか『コナン』あたりを想起してもいい。そんな世界で「塔の中の姫君」は「職人」=手に職を持つ人々を尊敬して、自らも何かを生み出す人間になりたいと願うのだ。登場する魔法の数々も「もとは人の手で作られたもの」という視点で描かれ、「救済をただ待つ者」から一歩踏み出すというメイン・モチーフはベケット『ゴドーを待ちながら』めいた哲学的陰影を帯びる。「人の心は不思議……理解しつくすことなど、とてもできない。------でも、あんなに高く!」という、ある場面でのアリーテ姫の言葉なんて、含蓄あり過ぎでゾクっとした。他者理解の不可能性を悟った上での希望、人の想像力の謳歌、「今、ここにある」こと自体の不思議を、『アリーテ姫』はささやかな寓話に託して語ろうとしているのだ。

監督は、宮崎駿『名探偵ホームズ』シリーズの脚本や演出助手、『魔女の宅急便』の演出補を経て、大友克洋『MEMORIES』-「大砲の街」の演出/技術設計をこなした片渕須直。彼が8年がかりで企画し、構想・脚本も手がけたのがこの作品だ。製作のSTUDIO 4℃は『MEMORIES』や『スプリガン』という微妙に評価し難いが随所に光るものがあるジョパニメーションを生み出してきたところ(たぶんダサいのが嫌いで妙にクレバー過ぎるので、逆に見え方が地味で舌っ足らずな感じになっちゃう癖があるのでは?)。本作も、さりげなそうでいて密度の濃い台詞や、クレバーかつスタイリッシュ過ぎてパンチに欠ける演出(声優がボソボソしゃべるのはリアルだけど耳に残らなくて往生した)、原作を読んでないと深く納得できない状況設定など、些細な欠点は幾つかあるのだが、繰り返し観てみると実に良く練られたハイ・ファンタジーであることがわかる。

良質な児童文学などにインスパイアされた、キッズ系ハイ・カルチャーが秘かに流行る兆しがある昨今なんだけど(昨年の『ロッタちゃん』や今年の『点子ちゃんとアントン君』など正統派に加え、『クレヨンしんちゃん/嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』や『チェブラーシカ』や『蝶の舌』、後はまあ『ハリー・ポッター』とかも)、その可能性に注目する人達には必見の劇場アニメだと言っておきたい。原作と比較したり2度観たりすると、より愉しめるはずだ。

Text:梶浦秀麿

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