[パール・ハーバー]

監督・製作:マイケル・ベイ/製作:ジェリー・ブラッカイマー/出演:ジョシュ・ハートネット、ベン・アフレック、ケイト・ベッキンセール、アレック・ボールドウィン、キューバ・グッティングJr.、ジョン・ボイド、他(2001年/アメリカ/3時間3分/配給:ブエナ・ビスタ・ジャパン)
7月14日より全国松竹東急系にて公開
:『パール・ハーバー』オフィシャルサイト
:ブエナビスタ公式サイト


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物語のはじまりは1923年のテネシー州。第一次世界大戦で心に傷を負った父を持つ少年ダニーは、文盲の親友レイフと共に、いつか戦闘機乗りになるのが夢だった……。2人は長じて念願の空軍に入るが、勃発した第二次世界大戦当初、アメリカは参戦を避けていた。「もう25だ。このままじゃ飛行教師にされちまう……」と、あせるレイフ(B・アフレック)は、英国のイーグル飛行中隊に志願。直前に恋に落ちた軍属の看護婦イヴリン(K・ベッキンセール)とのロマンスを経て、ドイツ軍との闘いへと旅立つのだった。その後、ダニー(J・ハートネット)は偶然にもイヴリンと共にハワイに転属となる。激戦地からのレイフの手紙を読むイヴリンは、南国ハワイの平和な日々とのギャップに感傷的な思いに駆られ、奥手のダニーはそんな彼女を優しく見守る。

さて、人種差別のあったアメリカでは、黒人は軍に入ってもコック見習いや雑用しかさせてもらえない。ある日、余興の賭けボクシングで、黒人の誇りを賭けて闘ったドリー(C・グッティングJr.)の、名誉の負傷を治療していたイヴリンの元に、ダニーが悲報を伝える------レイフの戦死の報せだ。どう慰めればいいのかわからないダニーは、軍規を破って彼女を戦闘機に乗せ、空から見たハワイの夕陽の素晴らしさを教える。親友/恋人であるレイフを失った二人が、恋に落ちるのも時間の問題だった……。だが、そのレイフが生還する。不時着したドイツ占領下のフランスから、やっとの想いで戻ってきた彼は、親友と恋人の予期しがたい裏切りに憤慨するしかない。気まずい夜が、殴り合いとひとまずの和解で明けたその朝------1941年12月7日(日曜日)早朝、日の丸のついた戦闘機の大群が、彼らのいたパール・ハーバー=真珠湾を急襲した!


とにかく公開の1年も前から賛否が飛び交う、というより右寄りな批判が相次いだ問題作、『パール・ハーバー』がついに公開される。『ザ・ロック』『アルマゲドン』の製作ブラッカイマー+監督マイケル・ベイのコンビがディズニー(!)と組んで、あの『タイタニック』を過剰に意識しつつ、感動的な史実の中のロマンスを描こう------ってな意図の意欲作だ。  ストーリーはこの後、日本軍の真珠湾攻撃を、ブラッカイマー+ベイ流の「見てきたような、しかしそれにしてはドラマチック過ぎたりもする」スペクタクルとして延々と描き(黒人ドリーの活躍も含む)、その復讐戦と位置付けられた「1942年4月8日の東京大空襲」を、今度はアメリカ側からの無謀な決死作戦として展開してみせることになる(ちょっと松本零士の「戦場まんがシリーズ」を彷彿させる)。そして世紀のロマンス(笑)の方も、「痛み分け」みたいな「いい話」的決着がついて、物語冒頭の麦畑の上の夕焼けを飛ぶ、赤い複葉機の叙情へと、しんみりと回帰するのだった……。

僕は個人的には、零戦が大挙して飛んでいるシーンだけでもう大満足(←お子様か!)。VFXを駆使した圧巻の爆撃空襲シーンは、『プライベート・ライアン』の戦争スペクタクル描写をより過激にし、それを「娯楽映像(眼福!)」としてスクリーンに定着させよう------という、罪深くも大衆的欲望に忠実な意志にあふれている。実はこのスタンスは嫌いじゃない。宇宙戦争だろうが犯罪映画だろうが、要は「殺し合い」のスリルとサスペンス、悲劇のカタルシスと勝利の高揚感ってのは、大衆受けするのだ。獣としての人間の原初的な感覚として肯定されるべきなのだろう。だから、まずそこだけでもフィクションとして愉しんで観るべし。

また半世紀以上前の恋愛スタイル描写の微妙な面白さ------バージンを大切にしたいと手を出さないレイフが、親友ダニーにはずみで寝取られちゃうシチュエーションとか、「従軍慰安婦」みたいな看護婦チームの描き方なども、実に興味深かった。このロマンス描写を「浅い」とか「中途半端」とか「有り得ない」とか批判する評を大量に見かけたけど、バランス的には丁度いいんじゃないかってのが私見である。どこか現代的にさばけてるヒロインのケイト・ベッキンセールは、『ブロークダウン・パレス』で演じた、親友を見捨てる「普通のヤな女」をリアルに演じていたのを思い浮かべながら見ると、ちょっとリアリティが増すかも。もちろん『パラサイト』『ヴァージン・スーサイズ』などで注目され、今風の流行りのルックスで女子のハートを鷲掴みにしたジョシュ・ハーネットも必見。彼が演じる「奥手な優しい男」=「彼女は、親友の惚れた女で、おまけに初めての恋愛経験だから好き」みたいな主体性のない感じも、またそれに逆上する「お山の大将」的性格のエース・パイロット役を、実に田舎のアンチャン臭く演じてみせたベン・アフレックも------そのどちらも、なんとも「普通」っぽくていいと思ったのだ。「別に題名の真珠湾奇襲と関係ないじゃん」という正しいツッコミはひとまず忘れて(笑)、「普通の恋愛」が戦争ひとつで何だかロマンチックになるって事態にこそ、素直に驚くのも手だと思うのだった。あ、ちなみに僕は「萩尾望都『ゴールデン・ライラック』のパクリじゃん」って思いつつ(特に彼女を飛行機に乗せてあげるシチュエーション!)、その傑作少女マンガの感動を重ね合わせて観てしまったので、なんだか妙に感慨深くて泣きそうになったんだけどね……。

で。問題はやはり史実のねじ曲げ方かな。例えば日本サイドの描写は、同じ「真珠湾奇襲」を素材とした日米合作映画『トラ!トラ!トラ!』(1970)と比較しても、格段に最悪なカタチで後退している点に、批判が集中している(例えば文藝春秋7月号掲載のかわぐちかいじの批評など)。この機会に、ぜひ見比べて観て欲しい(宣戦布告が遅れた描写とか、天皇がもう少しで映画の中に出てきそうになる日本の政治中枢描写などは必見)。30年を隔てた、語ろうとする内容のなし崩しの退化具合と、語る技術=映像テクニックの未曾有の進化具合のアンバランスな感触に、新鮮な驚きがあることは保証する。いや、一連のベトナム戦争映画と比較してもあまりにも酷いのは、現実のアメリカが際どく保守化している現れなのかも、と思って見るべきなのかもしれない。つまり「反戦」と「正しい戦争」という相容れない概念の現時点での暫定的融和のさせ方、あるいは自国のマイノリティ勢力へのおべっかと憎悪との混じり具合とかについてのアメリカ大衆的無意識のひとまずの解答として、この映画をテキストにいろいろ読み込んでみるってのも、よき日本の映画ファンの義務だと思ったりなんかしちゃうのだった。その意味で米国内版と、日本など旧枢軸国側向けヴァーションとが違うことに対して、もっと怒るべきなのかもしれない。

ただ、攻撃前に「逃げろ!」とハワイの白人少年達に叫ぶ日本の戦闘機乗りのシークエンス(これも有り得ないフィクションじみている)に、僕はちょっと微苦笑したんだけど、でも妙に印象に残っているのはいったい何故なのか? きっと地球規模で「未来永劫、戦争放棄する」ことの可能性/不可能性を深く考えた時の、何とはない一抹の哀しさが、そこにもあるから……なのかも知れない 。


Text:梶浦秀麿

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