[夜になるまえに] Before Night Falls

2001年9月22日より渋谷シネマライズ、川崎チネチッタ他にて公開

監督:ジュリアン・シュナーベル/原作:レイナルド・アレナス『夜になるまえに』(国書刊行会)他/脚本:カニンガム・オキーフ、ラサロ・ゴメス・カリレス、ジュリアン・ジュナーベル/特別挿入曲:ルー・リード&ローリー・アンダーソン/出演:ハビエル・バルデム、オリヴィエ・マルティネス、アンドレア・ディ・ステファノ、ジョニー・デップ、ショーン・ペン、マイケル・ウィンコット、ナジャ・ニンリ他(2000年/アメリカ/2時間13分/配給:アスミック・エースエンタテインメント)

∵公式サイト


1943年、キューバ・オリエンテ。霧に沈む美しい森。「木々が抱える秘密は、よじのぼる者にしかわからない」と声がする。乳飲み子を抱く女が、実家へと戻る。生後3ヶ月のレイナルド・アレナスは、若く美しい母(オラッツ・ロペス・ガルメンディア)が父に捨てられ、手元に残った「失敗の果実」だった。貧しい農家の大所帯には、因習に縛られた不幸な女達が大勢いた。庭先の地面に掘った穴の中で裸で遊ぶ記憶……やがて水汲みを手伝い、母が追い返す大人の男が小遣いをくれた記憶が続く。熱帯雨林……雨水の魅惑的なまでの暴力性、破壊の神秘……庭に咲く美しい花。貧しい暮らしと豊かな自然の中で、少年は衝動のおもむくまま木の肌に詩を刻み、裸で川遊びをする男達を眺める。先生が彼の詩の才能を見出し、「男が詩を書くだと」と祖父は斧で木々の言葉を削る。一家は農場を手放しオルギンの町へ移る。1958年、彼が13の時のことだ(10代のアレナス:ヴィト・マリア・シュナーベル)。人口20万とゴミ収集車1台の町。夜のクラブに出入りし、自由ラジオを聞きながらフェラチオしてもらう少年時代。早熟な性の目覚めを迎え、自由のための革命に訳も分からず憧れる。母はマイアミに出稼ぎに出ている。「反乱軍に参加する」と書き置きを残して14歳で家出。ヒッチハイクした男(ショーン・ペン)は、ベラスコに行くという彼を乗せてくれるが、カストロ率いる反乱軍を憎んでいて、途中で置き去りにする。運良く反乱軍のトラックに拾われ、パティスタ独裁政権を打倒するための暴動に加わるアレナス。1959年1月1日革命の勝利----パレードが始まる。凱旋する彼らを歓迎する人々、無数の旗の群れが町を埋め尽くし、赤と黒の色彩があふれ、「反乱軍万歳!」の歓声、そして売春婦達……(その後、アレナスは新政権を担う若者のための教育プログラムで農業会計士になる学校を経て62年までハバナ大学で学ぶ)。

ハバナ、1964年。農地改革局での授業風景、国立図書館の「ナレーター募集」の面接で、後の処女小説に描かれる幼き日を詩的に語り、面接官達に感銘を与える青年となったアレナス(ハビエル・バルデム)がいた。図書協会に務め、白いオープンカーを乗り回すペペ・マラス(アンドレア・ディ・ステファノ)と出会って、ハバナの文化人達やゲイ・サークルでの交流が始まる。アパートを借り、男性の恋人を見つけもする。ぺぺにもらったタイプライターで書いた処女小説『夜明け前のセレスティーノ』は、キューバ作家芸術家連盟の作家コンクールで選外佳作に。高名な作家ホセ・レサマ=リマに認められ、本を貸し与えられる。彼の書斎には、亡命したカブレラ=インファンテ(「反革命的」と上映を禁じられた短篇映画『P.M.』の監督のひとり、サバ・カブレラ=インファンテの兄) の『亡き王子のためのハバナ』があったりもする。「芸術家は独裁者にとって危険な存在だよ。美は敵だ。君は反革命分子だよ」と褒められるアレナス。“ある男”が統治できない美を破壊しようとしているのだ。「聖書を物語として読め」と教えられ、メルヴィルの『白鯨』やスティーヴンスンの『宝島』、プルーストにカフカ、フロベール『感情教育』を渡される。ビルヒリオ・ビニェーラ(エクトル・バベンコ)からも文学と編集の知識を伝授される。その頃「性の革命」を恐れた軍事政府による、芸術家やゲイへの弾圧が激しくなりつつあった。夜のキャンプファイア中に、軍と渡り合うアレナス。「若者の島」=強制収容所行きをチラつかせる軍人とは、煙草や酒のやりとりで切り抜ける。アレナスの60年代の3つの楽しみは「タイプを打つこと、若者達、そして海を発見したこと」だ。軍が監視する浜辺での日光浴。そこで4種類のゲイについて語るぺぺ。4つ目の「共産国家の特産物、権力に取り入り、何処へでも行ける特権ゲイ」とは自分達のことか? だが詩人達のパーティに軍が乱入する。逮捕され、公開懺悔や密告を強要される仲間達。詩の朗読会は禁じられ、3人以上の集会すら認められず、作品は全て検閲される。作家達は自作を破棄し、または誰にも見つからぬ場所に隠した。アレナスの第2作『めくるめく世界』は、観光に来た画家の手でこっそり持ちだされてフランスで出版、最優秀作家賞であるメディシス賞を受賞する。彼の名は一躍世界に知れ渡るが、それ以降、執拗な家宅捜査を受け、作品も没収され、友人までが脅され続けることになる。

1973年10月26日。ぺぺと浜辺で日光浴中に、若者達に服を盗まれて追っかけた彼は、パトカーに誰何され、乱暴されたと嘘をつく若者達のせいで水着一丁のまま逮捕される。尋問を待つ隙に警察署を抜け出し、決死の覚悟で国外脱出を試みる----フロリダの米軍基地まで145キロ、タイヤ・チューブにつかまって泳ぎきれば亡命できる。夜の海をもがくアレナス……しかし、辿り着いたのは元のハバナだった。レーニン公園で野宿の日々。だがやがて逮捕され、悪名高きモーロ刑務所に収監される。74年のことだ。劣悪な環境の中、受刑者達の手紙の代筆で煙草や紙や鉛筆を得、自作を書き続けるアレナス。モーロの有名人、ボンボン(ジョニー・デップ)の特殊な運搬方法で、原稿を外へ持ちだすことまで試みる。それが発覚したのか、酷く狭い独房に何度も放り込まれ、悪夢のような日々を送る。母も面会に来るが、「2年も耐えたのに!」と転向を拒む。だが、ある日。舎監のビクトル中尉(ジョニー・デップ)に「ホモを更生するのは不可能というしかない。お前次第だ。書き続けるなら明日はない。5分待ってやる」と自己批判文への署名を強要され、銃を口に突っ込まれた彼は、ついに折れて釈放される。住む場所も自作発表のアテもない世界的作家のために、友人のひとりがホテル・クラルカの1室をあてがう。仲間達と廃墟となった教会跡で手作りの気球を作り、生涯の友となるラサロ・ゴメス・カリレス(オリヴィエ・マルティネス)との再会があり、密告者を避けて日常を送るアレナス。気球の完成を祝うパーティで、踊り抱き合い疲れ果てて眠る彼ら。ぺぺが裏切って独りで気球で脱出するも、敢えなく海岸に墜ちる。

「革命の遺伝子を持たない者は不要だ」------1980年5月。カストロは、同性愛者や精神病患者、犯罪者がマリエル港から出国するのを許可する。罠か? しかし意を決してペルー大使館で出国を申請するアレナス。出国希望理由を問われ、ゲイだと言う時の微かな屈辱。港で政治犯リストを見ながらパスポートをチェックする軍。咄嗟に「アリナス」と名を書き換え、ついに出航する船。NYでドアマンをしているラサロと落ち合い、雪降る夜の摩天楼を見上げて、自由を満喫するアレナス。だが亡命者としての生活は、どこか淋しい。これが自由の国か……? (その後、87年12月にAIDSと診断され、以後様々な病気で入退院を繰り返す。だが反カストロ運動を展開しつつ、数多くの短編、詩、エッセイ、戯曲を書き続けるアレナス。88年フランス語版『ドアマン』がメディシス賞最終候補になりフランスに招待される。秋にはスペインのホルヘ・カマチョ邸で、カストロ宛の公開書簡を書き、多くの著名人の署名と共に新聞雑誌に掲載される---カストロは無視する---が、映画では描かれない)……そしてアレナスは、インタヴューに答えて「ただの田舎者だ」と自嘲する。1948年に2ペソをくれた男を思い出す。89年に英語版が出版された『ドアマン』は、実はラサロの作品かと思わせる描写があり、不安定な精神状態のアレナスを支えるラサロの献身が描かれる。夜のマンハッタンを彷徨い、病院で目覚め、植木鉢を買ってアパートへ向かう。「パレードが終わる」という短篇の一節、まざまざと浮かぶハバナの幻影。怪談で鉢を割ってしまう。土に触れ、土を舐め、何かを懐かしむよう。緑を植え直す。「約束してくれ。病院で目を覚ましたくない」と嘆願し、幾つかの手紙をラザロに渡す。朗読を請い、苦しげに眠る彼の首を締めるラザロがいて……。


レイナルド・アレナスの生涯は、公式には「1990年12月7日、NYマンハッタン44丁目のアパートメントで、鎮痛剤の多量摂取により自殺」で幕を閉じる。彼が死の4ヶ月前に脱稿した回想記『夜になるまえに』は、92年(英語版93年)に出版され、ニューヨークタイムズ・ブックレビューの年間最優秀図書に選ばれた。そして2000年、画家であり『バスキア』(96)で監督デビューしたジュリアン・シュナーベルが、その回想記を基に、アレナスの他の作品群や関係者の証言なども盛り込んで映画化したのが本作である。ま、予備知識なしで観てもいい。キューバの貧困の中で生まれた才能ある男が、いかにしてゲイとなり、いかにして自らの自由のために闘い、いかにして作家となったか……そして苦難の末にいかにして亡命者となり、いかにして哀しい最期を迎えたかを、鮮烈な映像によって追体験することができる。あふれる緑や雨水や海の自然描写、質感を持ったそれぞれの街の風景などの映像の美しさに目を洗われながら観客が見届けるのは、つまりは「世界のどこにも居場所のない者の話」なのだ。彼は自由をひたすら求め、その表現に見合う名声は得たけれど、はたして本当の意味で救われたのだろうか……?

作家レイナルド・アレナスは、おそらく日本では『めくるめく世界』の翻訳(国書刊行会・文学の冒険)で知られるようになったと思う。この実験的現代小説は18世紀生まれの実在の人物の伝記、の振りをしたマジックリアリズム風味の「冒険小説」で、酒瓶の雨が降ったり、牢獄から傘で空を飛んで脱出したり、両性具有者に追っかけられて大西洋を泳いで横断したり……ってな奇想天外さが魅力。なので、本作もアレナスの伝記の振りをして、そういった幻想的な「ぶっ飛び映像」続出かもって期待したのだけど……監督のシュナーベルったら案外マジメで、シリアスな伝記的展開の中でチラチラと小出しにするだけだった。例えば処女作『夜明け前のセレスティーナ』(国書刊行会)にある、木という木に「終わりのない詩を彫り続ける」少年と、斧でその「言葉を切り取る」祖父ってエピソードなどが映画冒頭に引用されているんだけど、そういう小説のファンタジックな感触がなくなってて、妙にリアルな逸話に見えてしまうのは、ちょっと勿体ない。短篇「パレードが始まる」(すばる87年6月号訳載)と「パレードが終わる」(ユリイカ01年9月号訳載)は、それぞれ59年の革命成功のパレードと80年春の亡命許可を求める民衆の様子をメインに描いたもの。劇中で映像化されたシーンを思い出しつつ読んでみると面白いかも。未訳の『ドアマン』は高級アパートの住民達に「本当の幸福へのドア」があることを教えるボーイ=ドアマンの話らしく、それぞれの悩みや欲望にかまける住民は聞く耳を持たず、結局彼らのペット達が動物会議を開いてドアマンをリーダーにし、自由を求めて「ドア」の向こうへ脱出する結末なんだとか。映画の終幕部分と関係あるような気がするのだけど、はたしてあの微妙な結末にどんな裏の意味があるのかが、ちょっと気になるのであった。

主演は『電話でアモーレ』『ライブ・フレッシュ』『ペルディータ』などに出演しているスペインの人気俳優ハビエル・バルデム。迫真のなりきり演技で、アカデミー賞+ゴールデングローブ賞+シカゴ映画批評家協会賞の主演男優賞にノミネート、ヴェネチア国際映画祭+全米映画批評家協会賞+インディペンデント・スピリット賞+ナショナル・ボード・オブ・レビュー+サザン・イースタン映画批評家協会の主演男優賞は軒並み受賞している。アレナスの親友ラサロ役をフランス映画界の若手オリヴィエ・マルティネス、キューバ時代にアナレスとツルむぺぺ役をイタリア俳優アンドレア・ディ・ステファノが、それぞれ好演。またカメオ的な出演だが強烈な2役で登場するジョニー・デップをはじめ、ショーン・ペン、マイケル・ウィンコットなどハリウッド映画界の個性派スター達、さらに映画監督のエクトル・バベンコやイェジー・スコリモフスキの特別出演もあってなっかなか豪華なのだ。あ、コーエン兄弟監督作を手がけるカーター・バーウェルが音楽監督を担当し、 郷愁を誘うキューバ音楽に加えてローリー・アンダーソンとルー・リードが曲提供してるってのもウリだな。なお作品自体はヴェネチア国際映画祭での7分にもおよぶスタンディング・オベーションのオマケつきで、審査員特別賞をもらっているのだった。

さてと。『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』や『ビバ!ビバ!キューバ』でちょっとしたキューバ・ブームもあったりしたけど、そのノリでカストロとかチェ・ゲバラとかをノー天気にリスペクトしてた最近の若者が、ちょっと冷や水を浴びせられるような、何とも複雑な味わいが本作にはある。過激なイスラム原理主義者やキューバなどの共産主義者の反米感情に、単純にイエス・ノーを言うのは実は難しくて、旗幟鮮明に(Show the flag)しようとすると反カストロ&反アメリカ&反権力&反テロリズム&……と極論すれば、もう反「自分以外」ってな自分主義/個人主義に陥ってしまう気がする。自由を求める芸術家(タイプの人)が究極的に引き受けざるを得ない、そんな「夜の孤独」をも味わうことになるのが、この『夜になるまえに』の映画終盤の寂しさ、哀しさなのだろう。よくわからないけど、例えばゲイ・ヘイター(ないし自分は普通だと思ってる人々)の共感や理解を求めるのは難しいかもしれん。あと「反権力」とか「自由」って言葉を好む人はいいけど、そんな浮ついた言葉を嫌う人(ないし自分は普通だと思ってる人々)も、自己表現するアーティストとか芸術家なんて輩を信用しない人(ないし自分は普通だと思ってる人々)にも向かないかもなぁ(笑)。ま、もっと軽やかに奇想天外に、イマジネーション爆発系のアレナス世界を描く手段もあったはずだけど、それは小説の方で味わうべしってことかな。

Text : 梶浦秀麿


Copyright (c) 2001 UNZIP