[贅沢な骨] Torch Song

2001年8月25日よりテアトル新宿にてレイトショー、以降全国巡演予定

監督:行定勲/プロデューサー・脚本:行定勲、益子昌一/音楽:朝本浩文(ram jam world)、MOKU/出演:麻生久美子、つぐみ、永瀬正敏、光石研、田中哲司、津田寛治、小林美貴、森下能幸、高木まり子、山本麻里、川村カオリ、朝本浩文、渡辺真起子、他(2001年/日本/1時間47分/宣伝・配給:スローラーナー)

∵公式サイト


火葬場の台の上の焼けた骨にタイトルが重なる。ミヤコ(麻生久美子)のモノローグが響く------「開く……閉じる……」。マンションの一室で、ミヤコが口をゆっくりとパクパクさせている。同居人のサキコ(つぐみ)に訊かれ、「昨日の客に奢ってもらった鰻の骨が、喉に刺さってるみたい」と答える。「なんか贅沢な感じ」なんて二人で笑う。ミヤコはホテトル嬢をして収入を得ている。少し内向的なサキコには仕事をさせない。「私は不感症だからできるのよ」と言うミヤコが出かけている間、サキコはマンションの屋上で影踏みをしたり、部屋でつたなくギターを弾いたりしている。いつも弾くのがハンプバックスという古いバンドの歌「トーチソング」で、そのメロディはミヤコも覚えてしまっていて、ベッドの中で口ずさんだりする。お客の新谷さん(永瀬正敏)が「古い歌知ってるね」と微妙な感情を隠したように呟く。この仕事は変な客が多いけど、新谷さんもかなりユニークな客だ。弁当屋さんの前で待ち合わせして、名を呼ぶと「ハイ!」とパッと片手をあげる仕草が可愛い。ホテルの一室でミヤコが弁当をペロッと食べるのに感心したり。でも凄い。ミヤコは初めて感じてしまったのだった。新谷というのは実は偽名で、昔イジメてた奴の名だと言う。それ以上は訊かない。今度は自分から新谷さんを誘い、サキコにも紹介して、不思議な三角関係が生まれる。気を使ったように去るサキコを見送る新谷さんに「ダメよ、あの子はあたしのなんだから」と言ってみたりする。

ある日、影踏みの影を追いかけ過ぎて、サキコが足を折る。入院した彼女を見舞ってから独り帰宅したミヤコは、夜中に喉が酷く苦しくて新谷さんを呼ぶ。翌日二人で医者に行くが、喉には何も異常がないと言う。新谷さんは待合所でバレエを踊る小さな少女を見かける(ミヤコの過去の幻影かも知れないので拍手してあげる)。サキコのギプスが取れるまで禁煙を誓うミヤコだったが、退院前日にも新谷さんがマンションに来て流暢にギターを弾いてたりして、迎えに行くのも忘れて二人で過ごしてしまう。苦労して松葉杖で帰宅したサキコは、寝ている二人に腹が立つし、ミヤコが禁煙の誓いをあっさり破ったことにも静かに怒るのだけど、新谷さんの優しい機転でウヤムヤにしてしまう。三人で花火をしたり、カップルをからかったり、クラブに出かけたり……。夜店でもらった三匹の金魚は、使ってないジューサーミキサーの中に放してあげる。そんな間にもミヤコとサキコの間に、徐々に手に負えない曖昧な感情が生じてくる。新谷さんは、サキコには全然ギターが弾けないと言う。でもハンプバックスのヴォーカルのアキヲのエピソードには詳しかったりする。実は家出しているサキコは、家に来た新しい母が嫌いなのに、彼女が口ずさむこの歌だけは好きなのだと、彼に打ち明ける。自分を「汚い」と思ってることも。戯れか本気か、サキコを抱くように唆すミヤコも、どうしたいのかがわからなくなってるようだ。サキコを癒すように抱き、突き放すように怒鳴る新谷さん。彼もまた彷徨っていた……夜のグラウンドで、再びバレエを踊る少女の幻影を見る。

ミヤコと喧嘩になり居場所を失ったサキコは、戻った実家の前で立ちすくんでしまう。人影に逃げるが、継母が追いかけてきて、父がかつてプレゼントに用意したという不細工な人形を渡される。そして喉の痛みが治らないミヤコの元に還る。首を絞めてあげると痛みがひくようだ。危険な徴候? でも元通りの二人の暮らしだ。新谷さんは去ったが、代わりにサキコの人形がいる。明日ギプスが取れるので、二人で旅行に行こうと盛り上がる女達。だが……。

ミヤコは携帯で「ありがとう」と囁き/大きな交差点で不意に呼ばれて手を挙げる新谷さんは「ハイ!」と何度も叫び/そして拾い上げた遺骨に開いた穴を覗いてみても、何も無い……いや、観客には見えない何かが、あったのかも知れない。

凄い! 個人的には今年一番の邦画だ、もう隅々まで好き過ぎるかもってくらいの絶妙さの、哀しい映画だ。とにかくネタバレ過ぎな↑上のあらすじも↓以下のゴタクなども読まずに(笑)、さっさと劇場に行くように! とはいえピンと来ない人には来ないみたいなので(2回目で一緒に観たツレはイマイチだったらしい)、観客を選ぶタイプの映画かも知れないなぁ……うーむ。というワケで何が僕を酷く惹きつけたのかって考えた。

最初はやっぱりチラシにもある「きれいな光を浴びたジューサーミキサーの中を金魚が3匹泳いでる」というヴィジュアル・イメージだ。もう気になる気になる。軽く意表をついていて、淡い青と赤が色彩的にも綺麗で、儚い感じもあって、ちょっと怖くもある画像。行定勲監督は前々作『ひまわり』でも、「日蝕の真っ黒い太陽(太陽の前の月だね)をチロチロとコロナが縁取っている」って画面を向日葵に見立てるというのをやってたけど、このちょっと潔くもある「詩的な一枚の絵」(ムチャクチャ斬新なわけじゃないけど、作品のキイ・ヴィジュアルとしてきっちり秀逸な効果=詩情を持つ絵)へのこだわりがまず好きなんだな。本作では「ミキサーの中の金魚」という動物愛護協会の倫理コードに引っかかるかギリギリかってな現代美術的問題も孕んだ残酷さが、またゾクって来てしまった。そしてその絵と「贅沢な骨」というタイトルを象徴的なキイにして、後は説明的な展開を極力削って、独りよがりになるギリギリの描写で、女2人男1人のささやかなドラマを描くってのも素敵だ。シーンごとの絵面の完璧さにも唸ってしまった。

んでもって役者がいい。主人公のホテトル嬢ミヤコ役は、その『ひまわり』で幽霊もといヒロインを演じた麻生久美子(他に『BUD GUY BEACH』『カンゾー先生』『風花』『回路』『Stereo Future』『RUSH!』『0cm4』『Red Shadow赤影』『Last Scene』など)。今回は出だしちょっと眉無しYOU(元フェアチャイルドのね)みたいだったりもするけど、初めて「いく」シーン(照)を始めいろんな表情があって凄い美しい。対するサキコを演じているのは『ねじ式』『月光の囁き』のつぐみ(他に『四月物語』『ハッシュ!』など。CMでも見かける)。彼女もほとんどジャージ姿なんだけど、鬱屈のある内向的不思議少女を見事に好演、白いぽよんとした裸身もグーだし(照)、『月光の囁き』に目配せしたような松葉杖に片足ギプスっ娘ってのも萌え要素かも(笑)。まず、このプラトニックな同棲関係にある女性陣のじゃれ合いがいい感じなのだ(え? つぐみって76年2月生まれで麻生が78年6月生まれ。てことは、つぐみの方が2歳3学年上ってこと? うひゃー逆に見える)。で、そこに絡む新谷さん役にぴったりハマったのが、行定監督の前作『閉じる日』にも出ていた永瀬正敏(『濱マイク』連作、『五条霊戦記』『PARTY7』『Stereo Future』『0cm4』『けものがれ、俺らの猿と』『クロエ』『ELECTRIC DRAGON 80000V』『ピストルオペラ』など)。謎めいた30男を飄々と演じていてとても良いのだ。映画の舌っ足らず感も彼のおかげで正当化されるほどの凄さがあったりする。物語はこの3人の世界を描くものなのだが、チラっとしか出てこない脇役陣もいい感じ。特に鉄ちゃん(鉄道オタク)の怪しい客を怪演した田中哲司(『ひまわり』『GO』など)は強烈だった。

そしてやはり、哀しい愛をめぐる物語を、過不足無い最低限の描写で美しく表現していることに、僕は痺れたのだろう。「トーチソングtorch song」ってのは「片思いの恋(悲恋など)を扱ったセンチメンタルな歌」のことだ(トーチはたいまつから転じて片思いの炎を意味する。失恋歌ばかり歌う歌手をトーチシンガーとも言うので、諧謔も込めてあるのかもしれない)。一般論として「誰も本当には分かり合えない」ってのが真実なら「あらゆる恋愛が片思いだ」とも言えるワケで、劇中の奇妙な三角関係は、それぞれの想いがあくまで一方的でしかないことから来る当然の帰結として悲劇を迎えてしまうのだ。しかも実は3人とも既にその真実を知っているが故に、惹かれ合い与え合い反撥し逃走するのだ。優れた現代文学のような、不思議に抽象的な「関係性のドラマ」------そんな深みまで感じさせるのは、一番言いたいことや表現したいことは劇中では巧妙に描かれないまま隠されているからだ。いや、ハンプバックス(猫背スってバンド名の由来が、村上春樹チックな洒落たエッチさを持ってるのはさておき)のヴォーカルのアキヲが誰かとかってのはわかりやすい謎だ。まずは出来過ぎの偶然が、この物語を起動しているのだ。巧妙に語られないのは、女2人が一緒に暮らし始めた理由、何故ミヤコは新谷さんにだけ感応するのか、それ以前から喉がおかしいのは予感なのか(あの結末が新谷さんに起因しない可能性に繋がる謎)、昔アキヲに虐められた「新谷」はどうなったのか(何故そう名乗るのかに繋がる謎)、サキコが「汚れてる」のは何故か(「父もあの人も……」の「あの人」とは誰か?)、何故「影踏み」なのか(死にたがっているのか? サキコが/ミヤコが?)、バレエ少女は何なのか、最後に何があったのか(おそらく首を絞めてもらったのだろうけど)?……ってな無数の問いの答えだ。それを解くのは観客に委ねられている。

女二人暮らしのマンションの部屋の親密な空間、その屋上の開けた感じ、線路をまたぐ歩道橋から狭いエレベーターホールまで------そうした生活空間の風景描写がリアルに丁寧に背景に描かれながら(クラブ・シーンだけ妙に安っぽいのが嫌だったけど)、また細部のエピソードそれぞれに観客それぞれの記憶を喚起しそうな「ありがちな思い出」的描写を積み重ねながら、物語構造はひどく抽象的で、理由や動機を欠いたまま提示されている。何らかのトラウマ=過去の精神的な傷がそれぞれにあり、それを抱えて、それが呼び覚まされるのを恐れながら、なるべく平穏に刹那を積み重ねて生きようとする登場人物達。その危ういバランスの美しい描写------それ以上は読みとれないように巧みに仕組まれた、判じ物のような映画の感触。たまたま先頃完結した萩尾望都『残酷な神が支配する』(全17巻・小学館)を一気読みして、ジェルミとイアンという少年2人の世界がいかに生まれ、そこにナディアという女性が絡むものの真の救いにはなれないってな展開を読んだので、その逆さまの少女2人に男1人パターンにして、さらにギュッと短篇化したかのようにも思えた(まだ観てないけど『ハッシュ!』はゲイ2人と女1人パターンらしいので後ほど要検討かもね)。またこれも最近観た第三舞台の演劇『ファントム・ペイン』が、「幻影肢の痛み(事故で喪くした手足の無い部分が何故か痛い感覚)」=「かつて別れた恋人の記憶を、今の恋人のために忘れなきゃいけないのに不意に想ってしまう時の痛み」という仮説をメイン・モチーフとしていたので、あの「贅沢な骨=ひとまずは喉に刺さった幻の鰻の骨」とダブらせてみると、その症例が象徴するものを読みとれるかも知れない。それにしても「ミシンと蝙蝠傘と手術台」みたいな「贅沢な/骨」の組み合わせのシュールなこと! 「ジューサーと金魚」のシュールでアンチPC現代アートもどきな感覚の絶妙さと相まって、とにかく語りどころも多すぎて僕も未だにこの作品の素晴らしさをうまく語り尽くせないのだった。とにかく観ろ!

あ、監督についてもうちょっとだけ。行定勲監督は初の劇場公開作『ひまわり』で2000年釜山国際映画祭・批評家連盟賞受賞。全編デジタルビデオ撮影の『閉じる日』、本作『贅沢な骨』ときて、次作は10/20公開の窪塚洋介主演作『GO』(原作:金城一紀)。これがまたエラく評判が良くて(僕はまだ観てないけど)、日本映画界で大注目の監督さんになってしまった模様。でも『GO』観る前に『贅沢な骨』を観ておこう!

オマケ。最近、劇中に架空の音楽家、アーティストが出てくる邦画をいっぱい観てしまったんだけど、流行りなのか? でも『リリィ・シュシュのすべて』は何かネットに熱狂的ファンがいるみたいなアーティストに設定されてて気色悪いし、『カルテット』は監督の自作曲が天才音楽家の遺した曲だったりするのが臆面もなくて恥ずかしい。「トトロのテーマ」を弾いたら子供達が注目するって場面も、カルテットが巧いからじゃなくて宮崎駿が偉大だからじゃないかと思うと変な感じ。その点、『贅沢な骨』の架空バンド、ハンプバックスの使い方は適度にさり気なくて僕は許せたんだけど、みんなはどうかなぁ? ま、『オー・ブラザー!』のズブ濡れボーイズには叶わないんだけどね(笑)。

Text : 梶浦秀麿



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