[恋する遺伝子] Someone Like You

2001年10月13日 スカラ座2他にて公開

監督:トニー・ゴールドウィン/原作:ローラ・ジッグマン(角川書店)/出演:アシュレー・ジヤド、グレッグ・キニア、ヒュー・ジャックマン、マリサ・トメイ、エレン・バーキンほか(2001年/アメリカ/1時間37分/配給:20世紀フォックス)


「感情には、理性で測れない尺度がある----パスカル」って献辞の次は、グドール博士著『新しい雄牛理論』とかいう研究書の表紙が開いて、何故か牛の種付け実験の話になる。白衣の学者達が、雄牛が同じメスとは交配しないかどうかを試行錯誤してる。モノローグを語るのはジェーン・グドール(アシュレー・ジャド)。これは、彼女の物語だ。ジェーンは、NYローカルのTV番組「ダイアン・ロバーツ・ショー」で、ゲストのブッキングを担当する、約30歳のキャリア・ガール。そこそこ知的でもの凄く挑発的なダイアン(エレン・バーキン)が司会の人気トーク番組は、「他の番組に出ないゲストを担ぎ出せ」がモットー。具体例はカストロとかヒラリー夫人とかCIA御用達の女暗殺者とか……。おかげでジェーンや、構成作家兼プロデューサーのエディ(ヒュー・ジャックマン)はアポ取り営業にテンテコ舞いの日々だ。

<惹きつけ>そんなある日、番組の新任エグゼクティブ・プロデューサーとして、レイ(グレッグ・キニア)がやって来た。清潔なエリート・タイプの彼は、モロにジェーンの好み。つき合って3年のディーという恋人がいるらしいけど、倦怠期らしく「彼女はベジタリアンで加工食品嫌いなんだ」と愚痴をこぼしたりしてる。そんな彼に「君はお肉は?」と誘われたら「もちろんOK」と答えるしかない。「運命の人に出会えば、この人だってわかるもんなのかな?」なんて、さりげないアプローチにすっかりヤラレてしまったジェーン。雑誌社に勤める親友のリズ(マリサ・トメイ)に報告して呆れられつつも、ジェーンの恋は停まらない。子供を欲しがってる姉夫婦の関係は何だかイケてない感じだけど、私の恋は本物よってな具合。

<親密な関係の確立>ネットで恋人探しなんてしてるリズのアドバイスを参考にしつつ、ジェーンとレイの仲は、デートしてキスして部屋に入れて(慌てて埃を被ったペッサリーをさがして避妊したりもして)、格闘技のような情熱的な情事へ!……と急速に進展する。休日のデートで、レイに青いシャツを買ってあげていたらエディにばったり、なんてハプニングも。思わず「会社では内緒よ」と釘を刺したりしつつも、幸せな充実した日々……。

<感情の発声>つき合って6週間でレイとの同棲を決めたジェーンは、二人で不動産巡りをして見つけた新居での生活に夢をふくらませる。彼女とも無事別れたらしいし。ところがレイの様子がおかしい。不動産屋に難癖をつけ始め、彼女の電話にも出ない。新居の契約も放ったらかしたまま。ジェーンは自分のアパートを解約したので追い出されちゃうのに!

<新しい雄牛の死>ついにたまりかねて、レイを問いつめる彼女。そこで切り出されたのは「僕には無理だ……理由はうまく言えない」とかいう、よくわからない別れ話だった。怒りと悲しみで目の前真っ暗なジェーン。翌朝、会社でレイが優しげに心配してみせるのにも腹が立って、ついルームメイト募集中のエディに同居を申し込む。「私、住む所がないの」と、レイに当てつけるように言い放ち、調子のいいエディはふたつ返事でOKする。食肉卸市場の2階にあるロフト風のエディの部屋は、キッチンとリビングとバス(キャビネットにコンドームを何ダースも常備)は共用で、ベッドルームは別々。ただしジェーンのは何故か壁に穴が開いてる。エディは自他ともに認めるプレイボーイのマイペース野郎だが、実は彼もレベッカという最愛の恋人との別れを引きずっていた。壁の穴はその葛藤の跡らしい。穴はカーテンで補修してもらって、階下に。そこは夜はファンキーなバーになってるのだ。酔って恋愛論を闘わせる二人。失恋の痛手からか、相手を取っ替え引っ替えする「愛の無神論者」エディと、謎な理屈で私を振った優柔不断男レイ----「さて、どっちが悪党か? 結局二人とも男なのだ」がジェーンの結論だ。

<理論の誕生>ニューヨークタイムズに、雄牛の生態に関する記事が載っているのを見たジェーンは天啓を得る。「雄牛は二度と同じ雌牛と交尾しようとはせず、つねに新しい雌牛を求める」------これは人間の男にもあてはまる! 私は古い雌牛なのよ! そう閃いた彼女は、「毎晩同じ女とやるのは飽きた」なんて地下鉄の落書きから雑誌やネット、動物学や神話学といった理論書まで、自分の周囲のあらゆる情報から狂ったように証拠をかき集め、「オスの95%は一夫多妻制を好む」なんて独自の研究理論を打ち立てていく。恋人のできたリズも唖然とする熱中ぶりに、軽く見えても根は優しいエディも心配するのだが、会社でレイの「匂い」を嗅いだだけでも心をかき乱されるので、医者に鼻の器官切除を願い出る夢まで見るジェーンはもはや重症だ。眠れなくてエディに元気づけられ、彼の前でチアリーダー時代の振り付けを披露したりと、ちょっと心暖まる時もあるが、毎晩違う女をベッドに連れ込んでいる彼は、彼女の理論の絶好の証拠。優しさに気を許してはいけない。会社ではレイも気遣う素振りをみせるが、許すわけにはいかない。そんなジェーンの理論を面白がったリズは、彼女の編集する男性誌「M」の連載コラムとして書いてみないかと言い出した。

<戦闘準備>ジェーンは原稿執筆に苦しみつつも、適当な写真とベタラメな経歴を持つマリー・チャールズ博士(リズと二人で考えたペンネームだ)としてデビュー。その辛辣で大胆な仮説を交えたコラムは、ワイドショーで取り上げられて全米で大反響を呼ぶ。一躍時の人になったマリー・チャールズ博士を「番組のゲストに呼べ」とダイアンから至上命令を下されたジェーンは大弱り。何も知らないエディは、コラムの担当編集者であるリズをつかまえようと、彼女の通うヨガ教室に乗り込んでいく。慌てて追いすがるジェーンだったが、彼はそこで別れた恋人レベッカと偶然再会して一言二言会話を交わす。ヨガの妊婦クラスに来ていたジェーンの姉夫婦とも鉢合わせして、エディを紹介するも、彼は上の空だ。一気に落ち込んだエディの姿を見て、自分の理論は本当に正しいのか?と、微かな疑問が生じるジェーンだった。そんな時、TV局のクリスマス・パーティで、レイが「君が恋しい」と和解をもちかけてきてた。彼女は思わず大晦日のデートを承諾してしまう。

<牛小屋への帰還>コラムは300誌以上に配信され、「ポスト・フェミニズムのスター」になったマリー・チャールズ博士ってな自分の立場を忘れ、大晦日パーティに出かけるエディの誘いも断って、いそいそとドレスに着替えるジェーン。だが待てど暮らせどレイから連絡はない。仕方なくエディの行ったパーティに顔を出すが、とても新年を祝う気分じゃない。みじめのどん底の精神状態だ。新年の休暇が明け、初出社したジェーンは、そこで青いシャツを着たダイアンを目撃する------ディーって……。会議でレイの発言の一つ一つにキレまくるジェーン。何も知らないダイアンから「彼なしでは生きられない」と言ってヨリを戻したとかいうノロケ話を聞かされ、「古い雌牛を捨てた雄牛が、もっと古い雌牛のもとに戻る」という事態に直面した彼女は混乱する。そんな彼女をなだめ「捨てられた辛さはわかる」と優しく抱きしめるエディ。翌日、病院から電話が入る。姉が流産したのだ。駆けつけたジェーンが見たのは、姉よりショックを受けつつも、姉を必死に励まそうとする義兄の健気な姿だった。愛とはいったい何なのか……。何かをつかんだ彼女は、「チャールズ博士が生番組で電話インタビューに応じる」と、ダイアンに連絡する。そして聴衆が注目する「ダイアン・ロバーツ・ショー」本番が始まった。はたしてジェーンは……?


シングルトンの恋愛コメディ。と言えば『ブリジット・ジョーンズの日記』とつい比べちゃうんだけど、アッチはロンドン、コッチはNYが舞台。ブリジットが出版社勤務(後にTVキャスター)なら、本作の主人公ジェーンはTV番組のブッキング担当者だ。ま、(観客にはとてもそう見えないけど)どちらも一応キャリア・ウーマンである。で、トウが立ちつつある(笑)。んで、軽薄だが魅力的な上司と堅物の弁護士を天秤に掛けるのがブリジット、ジェーンの方は堅物そうな上司と軽薄な同僚ってコントラストなので、ちょっとお手近感が強いか。30代の女性の身も蓋もない内幕ってのは『ブリジット・ジョーンズの日記』の方が強烈で、女性に幻想を持つ殿方には『恋する遺伝子』の方をオススメしておく、まだ可愛らしいからね(ペッサリーが埃かぶってる場面にウエエってなる程の知識もないだろうし)。さて問題。結果的にうまくいかない自己改革に熱心なブリジットが真実の愛に巡り合う確率と、自前の恋愛理論を構築しては破壊することになる内省派のジェーンが真実の愛に巡り合う確率、はたしてどっちが高いのか? これは両作品の結末にどれぐらい納得できるかにかかってくるんだけど、はてさて。答えは劇場で確かめて欲しいのだった。

主役のジェーン役を演じるのは『コレクター』『氷の接吻』『ダブル・ジョパディー』『あなたのために』のアシュレー・ジャド。「ラブストーリーはこれが初めて」とプレスにあるけど、『氷の接吻』はある意味ラブストーリーだったような……違うか(笑)。お相手はエディ役のヒュー・ジャックマン(『X-メン』のウルヴァリン役でブレイクし、この秋の話題作『ソードフィッシュ』でも主役のハッカーを演じている)と、レイ役のグレッグ・キニア(『恋愛小説家』『ベティ・サイズモア』『ギフト』『恋は負けない』など)。特撮アメコミ・ヒーローでデビューしたてのヒューに演技派のグレッグというのは、なかなか意表をつく配役のような気がする。ジェーンの親友リズ役には『いとこのビニー』でオスカー女優となりつつしばらく見かけなかったマリサ・トメイ(あ、でも近作の『ハート・オブ・ウーマン』があるか)、またジェーンが働くトーク番組の司会者ダイアン役を『シー・オブ・ラブ』『ラスベガスをやっつけろ』『私が美しくなった100の秘密』のエレン・バーキン(『クライム・アンド・パニッシュメント』が待機中)と、脇の女性陣も映画通好みの渋さを感じる。監督は俳優でもあり、『オーバー・ザ・ムーン』(日本ではビデオのみ)で監督デビューしたトニー・ゴールドウィン(俳優としては近作に『シックス・デイ』『偶然の恋人』『アメリカン・ラプソディ』などがある)。原作はベストセラー小説(角川書店刊行)らしいけど、うーん、聞かないなぁ。原作者ローラ・ジッグマンはこの『恋する遺伝子』がデビュー作。第三作『Her』も映画化が決まっているとか(ジュリア・ロバーツの映画会社が映画化権を獲得、サンドラ・ブロックが主演候補らしい)。

それにしても、どうも僕がひっかかる恋愛ものって、こういう恋愛「論」系の映画が多い。気にしてるからだけかも知れないけど最近増えてない? 『チェイシング・エイミー』とか『ウィズアウト・ユー』とか『ハイ・フィデリティ』とか……。もちろん恋愛に理論なんて無く、出会うのも偶然なら恋心を抱くのも偶然、別れるのも結婚するのも偶然だってのが「科学的見解」だと思うんだけど(笑)、やたら運命論を振りかざす恋愛神秘主義は「信教の自由」だから置いておくとして、面倒くさいのは自分が「振られたこと」について理詰めで意味を求めたりする場合。だいたい物語ってのは、そういう現実の偶然の束を必然であるかのように因果を含めて描くものだから、とりあえずの理屈(恋愛神秘主義も含む)は既にさまざまなパターンが成立してる訳で、恋愛過程もどれかに当てはまるものなのだ。でも個人的体験をまず特権化するような恋愛映画(特に『チェイシング・エイミー』なんか)は、えてして自己正当化(言い訳)とか未練がましい「男女関係の死後解剖」(本作の台詞より)になってしまいがちなのだ。ただし、自らの失恋の痛手をつい作品化したくなる気持ちは凄くわかるのだけど……。ってのは、僕も振られたことだけは妙に覚えてるヤな男の子だからかなぁ(トホホ)。珍しいのは、こういう恋愛理論にこだわるのは男性(しかもオタク系)が多いはずなんだけど、本作では女性主人公が追求していること(原作者が女性なのだ)。「へー」と、妙なところで感心してしまった。日本では竹内久美子(『浮気人類進化論』とか多数あり)の独壇場なのが(科学の振りした)擬似動物生態学コラムなんだけど、この映画ではまさしくそのパロディのような「一夫多妻制正当化」仮説が登場して笑わせてくれる。その仮説に対する距離感も適切だ(ちょいウヤムヤになるのもいい)。結局、恋愛って不思議な現象なんだなぁってのは、こういう映画を観ても、つくづく思う今日この頃であった(←あれ、今回は何かツッコミが浅いゾ、うーむ……)。

Text : 梶浦秀麿

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