[クローン] Impostor

2001年10月27日(土)より、丸の内ピカデリー2他全国松竹・東急系にてロードショー

監督:ゲイリー・フレダー/脚本:エレン・クルーガー/原作:フィリップ・K・ディック「にせもの」(『ディック傑作集1:パーキー・パットの日々』ハヤカワ文庫SF所収)/出演:ゲイリー・シニーズ、マデリーン・ストウ、ヴィンセント・ドノフリオ他(2001年/アメリカ/1時間42分/配給:ギャガ・ヒューマックス共同/宣伝:オメガ・エンタテインメント)

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アルファケンタウリ星系の異星人との長い闘いの歴史を学習しているアメリカの子供達の姿から、物語は始まる------開戦から6年の2060年までに地球側は大打撃を受け、人類は青い空と豊かな大地の大半を失った。人々は防御シールドで覆われたドーム都市での生活を余儀なくされ、民主制はなし崩しに戦時統制政体に移行してしまう。戦死した父の遺志を継いだスペンサー・オーラム(ゲイリー・シニーズ)は長じてハーバード、MIT、ケンブリッジといった大学を経て科学者となり、今や特殊兵器開発局で強力な新型爆弾を完成させつつあった。時に西暦2079年。その朝のニュースは、統一政府の女性議長の去就や反戦団体の抗議運動の様子、そしてサットンの森での原因不明の大規模な森林火災を報じていた。サットンの森は、美しい妻のマヤと初めて出会い、ついこの週末にも出かけた大切な想い出の場所だ。少し気にかけながらも、夫婦揃って飛行バス(バグ)で出勤。妻は軍病院の医局部長。二人はエリート夫婦なのだ。そしてスペンサーは今夜、議長との大切な会合に出る予定だった。と、同僚のネルソン(トニー・シャルホウブ)と比べて自分のIDチェックが妙に厳しい気がする。部署に向かいながら「今朝、息子が産廃業者になりたいと言い出して……」と愚痴るネルソンの言葉も、いつもより兵士の視線が気になって適当に答えてしまう。新型爆弾の前でアインシュタインの言葉を引用するスペンサー。その自責とも諧謔ともとれる呟きを、咎めるようにして一人の男が現れる。地球保安局(ESA)スパイ捜査班のハサウェイ少佐(ヴィンセント・ドノフリオ)だ。握手する振りをしていきなり袖から飛び出す金属棒で、スペンサーの腕を突き刺した! 抗議するネルソンの声を聞きつつ、昏倒するスペンサー……。

麻酔から覚めたスペンサーは拘束されている。ハサウェイは、スペンサーがケンタウリから送り込まれた人間爆弾----体格から内蔵、DNAはおろか、感情や記憶までも本人そっくりにコピー合成された精密な生体兵器だと決めつけて、苛烈な尋問を始めようとしていた。自分が本物だと信じて疑わない人間爆弾に対する残忍な拷問記録映像を見せ、「ケンタウリのU爆弾は目標に近づかないと起爆しない」と議長爆殺の容疑をかけ、乗ってきた特殊船の隠し場所を訊くハサウェイ。訳が分からず必死で自己証明を述べ立てていたスペンサーは、すぐに相手がハナから殺す気であることに気づき、起死回生のハッタリを仕掛ける。隙をうかがってESAの職員を盾にするが、ハサウェイはあっさり人質を撃つ。たまらず逃走するスペンサーは、その途中で誤って親友のネルソンを撃ってしまう。もはやスペンサーに残された自己証明の方法は妻しかいない。だが既にマヤの元にも、彼が反逆罪で逮捕されたと伝えられていた。「誤解なんだ、病院にある3年前の医療データ、全身スキャンしたDNAデータがあれば証明できる」と携帯TV電話で訴えるスペンサーだったが、逃げ道が次々に封鎖され、電話は切れてしまう。注射された強力な麻酔の副作用のせいか、フラッシュバックや恐怖の幻覚に苦しみながらも、妻の病院があるドームを目指すスペンサー。一方ハサウェイは上司に叱責されていた。「これまでも君のミスで無実の人物が10人死んだ」と“にせもの”捜索の不確実さを責める上司に、「しかし10万人を救いました」と自らの捜査方法を正当化するハサウェイ。彼ももう失敗は許されなかった。

ドーム間の旧市街、戦火で焦土と化した無法地帯<ゾーン>へと逃れたスペンサーは、難民や戦災者、伝染病患者の住む廃ビルに潜むのだが、まだ生きているセンサーにひっかかって、ESAの執拗な追跡を受ける。ドームの全電力の25%を使用するという特殊センサーからも間一髪で逃れたスペンサーだったが、今度はゾーンの武装集団に捕まってしまう。その一人ケール(メキー・ファイファー)に対し、難民達の病院で不足している薬剤物資を交換条件として、ドーム侵入への協力を取り付けたスペンサーは、難民病院で皮膚下に埋め込まれたシムコードを除去してもらい、文字通りIDさえなくした存在となる。ケールと共に、無法者グループの襲撃やESAの包囲をかい潜り、腐敗役人の公共事業の穴や個人管理認証システムを逆手に取った裏技を駆使して、遂に病院へ潜入したスペンサー。不在のマヤの私室から自分のデータを見つけだし、マヤの同僚キャロンを脅し、全身スキャン検査を強要する。自らで確認しながら、スキャン状況を固唾を呑んで見守る彼だったが、もう少しの所でシステム・エラーが。通報で追っ手が駆けつける。と、薬剤を入手して別れたはずのケールが援護してくれて、辛くも病院から脱出。マヤは、犯人逮捕のためとはいえ戦傷者であふれる病院で銃撃戦を始めるESAに、微かな不信感を抱く。

なんとか追跡をまき、ケールと別れたスペンサーは、街頭TVでサットンの森の火災ニュースを再び目にし、マヤに「僕達が初めて出会った場所で待っている…」と伝言を残す。 夜の森林公園でマヤと再会したスペンサーは、愛し合う彼女なら自分が偽物でないとわかるはずだと信じている。そして森林火災は森を包むドームに敵の特殊船が激突して墜落したせいだと推理、その残骸を見つければ自己証明が可能だと語る。だがそこにもハサウェイらESAが現れた。妻を見やり、再び逃げるスペンサーを、だがマヤも追う。ついに森の奥で墜落した異星船の残骸を発見する二人。追いすがるハサウェイの制止を聞かず、船内を探るスペンサーが、そこで発見したのは……。

よくできたSFアクション・ミステリーである。「覚えのない罪を着せられ、延々と逃亡するハメになる男」というのはハリウッド映画のひとつの黄金パターン、それこそ題名そのままの『逃亡者』を始め、最近の国家的陰謀に巻き込まれるような話はみんなこのパターンだし(この夏の日本のTVドラマ『世界で一番熱い夏』もこの変型)。それを近未来SFという設定の中でヒネリを加えつつも、基本的にはストレートに踏襲してみせた展開は、なかなかにスリリング。犯罪映画によくある、犯罪者側の数々の機転の効いた逃走手法の愉しみ(警察や権力者との知恵比べの醍醐味)も味わえる上に、実は「私って本当は何なのか?」という深遠な実存的疑問とか、愛は真実を見極められるかとか(罪を犯した恋人をそれでも愛せるかってのも)、そういうちょい深い普遍的テーマも隠し味にしてるってのがミソだ。軽く匂うB級な低予算映画テイストも、原作者の作品自体の持つ味わいと似てもいるのでちょっとニヤニヤ、個人的には好感触を覚えた。SFに慣れてないと呆気にとられる多段落ち的ドンデン返しの結末(原作ともちょっと違う)も妙な含みがあって、もっと「でかい話(深い話)」になる可能性を感じたりしちゃうと、無限の可能世界(オレならこう作る!みたいな)を考え出してしまう恐れもあるので要注意か(笑)。とにかくSFファンなら観逃しちゃいけない映画ではある。

実はこの映画の原作「にせものImpstor」は何と50年近く前、アスタウンディング誌1953年6月号に掲載されたSF短篇。作者はカルトなSF映画『ブレードランナー』の原作者として(たぶん)知られるフィリップ・K・ディック(1928-82)だ。この「にせもの」、日本で最初に訳されたディック作品(53年刊の『宇宙恐怖物語』所収。その時の邦題は「外来者」)ってな記念碑的な意味合いも持つ。ディック自身によると「自分は人間なのか、それとも自分が人間だと信じこむようにプログラムされているだけなのか?」というテーマを初めて扱った作品(『ディック傑作集2:時間飛行士へのささやかな贈物』の「著者による追想」より)であり、これが幾度も反復されて、人間の記憶を埋め込まれたアンドロイドの葛藤を描く『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』(68年→映画化『ブレードランナー』82年)や、自分が偽の記憶を持った全くの別人だったことに気づく「追憶売ります」(66年→映画化『トータル・リコール』90年)、また少し焦点はズレるが、人間そっくり型に自己進化した殺戮機械と闘う「変種第二号」(別名「人間狩り」53年→映画化『スクリーマーズ』96年)などのヴァリエーションを生んでいく。そんなディックの原典的なオブセッションの、割とストレートな映画化なので、気に入ったら彼のSF小説を追っかけてみるのもいいだろう。

ちなみに原作のラストは『続・猿の惑星』ラスト(ということは横山光輝『ゴッド・マーズ』とか新井英樹『ザ・ワールド・イズ・マイン』とか『伝説巨神イデオン』などのブッチャケ系ラストの系譜)と同じ。映画版の微かな救いのある結末と比べると感慨深い(笑)。さらに原作では起爆のきっかけは人間爆弾がある言葉を口にしかけること(わかりにくいけど、題名に引っかけてるらしい----よく考えると危うい起爆コードだ)なんだけど、映画版は目標に接触した段階としか出てこないので(字幕から読みとれなかっただけかな)、あのラストはちょっと混乱するかもなあ……これは頭の片隅に入れておくとより映画を楽しめるかも(僕は起爆のきっかけは結局のところ何なの?って悩んで果てしなく考えてしまった)。なおディック作品の映画化は他に『戦争が終わり、世界の終わりが始まった』(75年→映画化『バルジョーでいこう!』92年)や製作中の「マイノリティ・リポート」(別題「少数報告」56年→映画化2002年=スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演の予定)がある。あと作家自身をモデルにした映画『ディックの奇妙な日々』(87年)ってのもあったな。ディック作品の中では、僕は『ヴァリス』の映画化が観たいんだけどなあ……オペラにはなったんだけどさ(あとPPP『ピンク・ワールド』ってな同種の設定の企画アルバムもあるしね)。

さて。本作は役者陣が渋い実力派揃いってのも見どころだ。『フォレスト・ガンプ』『アポロ13』『身代金』『スネーク・アイズ』『グリーンマイル』などで魅力的な脇役を務め、『ミッション・トゥ・マーズ』でついに主演を張ったゲイリー・シニーズが主演(プロデュースも担当)。彼の妻役で『ラスト・オブ・モヒカン』『12モンキーズ』『マイ・ハート、マイ・ラブ』『将軍の娘/エリザベス・キャンベル』のマデリーン・ストウ。そして対する敵役のスパイ対策課の少佐を不気味に演じるのがヴィンセント・ドノフリオ。『MIB』ではゴキブリ星人が着込んだ「人間の皮」役(笑)という本作とは正反対の役だったので、ちょっと洒落た配役かも。その他『フルメタル・ジャケット』の新兵役や、近作『ザ・セル』のイマジネーション豊かな猟奇殺人犯役(こっち表皮ひっぱり系妄想が『MIB』とダブってグーだった)など、狂気をはらんだ役作りが素敵な役者だ。ついでにスタッフも紹介。監督は『デンバーに死す時』、『コレクター』のゲイリー・フレダー。脚本は『隣人は静かに笑う』のエレン・クルーガー、音楽は『ブレイド』『リバー・ランズ・スルー・イット』のマーク・アイシャム、撮影を『マグノリア』『8mm』のロバート・エルスウィットが担当している。 そしてILM(インダストリアル・ライト・アンド・マジック)が特殊効果を担当し、映画にSF的な広がりを与えている。

余談。ま、原題と違う『クローン』ってタイトルに関しては(原作短篇の最新版翻訳者、大森望も言ってるように)問題もちょいある。シュワちゃん主演の『シックス・デイ』やマイケル・キートン主演のコメディ『クローンズ』ってなクローンもの映画が既にあるのだけど、これらが(クローン技術に関する科学考証のムチャクチャさはさておき)一応「クローン問題」を扱ってる(ことにしてある)のに対して、この『クローン』にはクローン人間は出てこない。出てくるのはDNAレベルまで完コピしたロボットって設定なのだ。まあ元々植物学系用語の「クローン」=「葉脈・枝分かれ・小枝(→クラン・分派・氏族)→栄養繁殖(単性生殖)→有性の動物の人工的単性生殖に限定的に用いられる昨今って流れか」にも、「そっくりなもの/コピー」とか「ロボットみたいな人」って俗な意味があるのだけど、プレス資料や宣伝で解説してあるような科学技術としての「クローン人間」では全くないのは踏まえておくべきだろう。というか『A.I.』劇中の「髪の毛一本からあっという間に再生する母」ってのも含め、娯楽SF(梅原克文の言う「サイファイ」?)サイドが安易に飛躍し過ぎのクローニング解釈を延々流布してきたのがそもそも原因なので、邦題を考える配給会社って思わぬ死角から、大衆的無意識に訴える間違ったイメージとして「クローン」を定着させてしまった責任=SFの罪を問われてる感もアリアリの昨今なのだった。余談である。

Text : 梶浦秀麿



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