[ブラックホーク・ダウン] BLACK HAWK DOWN
2002年3月30日より日劇1他・全国東宝洋画系にて公開

監督・製作:リドリー・スコット/製作:ジェリー・ブラッカイマー/原作:マーク・ボウデン(ハヤカワ文庫)/脚本:ケン・ノーラン/出演:ジョシュ・ハートネット、ユアン・マクレガー、トム・サイズモア、ジェイソン・アイザックス、ユエン・ブレンナー、エリック・バナ、ウィリアム・フィシュナー、オーランド・ブルーム、サム・シェパード他(2001年/アメリカ/2時間25分/配給:東宝東和)

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MOTION PICTURE (C) 2001 REVOLUTION STUDIOS DISTRIBUTION COMPANY LLC AND JERRY BRUCKHEIMER,INC.

「死者だけが戦争の終わりを見た」----プラトン。荒れた砂漠に痩せ細ったソマリアの人々が悄然と佇み、屋内に横たわる者達は餓死を待つだけ。青ざめた大地をとぼとぼと歩く人影は、どこへ向かおうとするのか?----1992年、ソマリア。アフリカ大陸の東部に突き出したカタチから「アフリカの角」と呼ばれる地域にあるこの国の民族対立は、飢餓も加わって民族虐殺の様相を呈していた。91年1月に首都モガディシオを制圧した統一ソマリア会議のアイディード将軍派は、およそ15ある武装勢力中最大の軍事力を持ち、国連の介入にも敵対しつつ、救援物資の略奪で国土に飢餓を蔓延させていた。1993年4月、米海兵隊2万人の支援による食糧支給で一時回復した秩序は、米軍撤退後のアイディードからの国連平和維持軍への宣戦布告で再び悪化。6月には24人の国連パキスタン兵が虐殺され、アメリカ人も攻撃対象とされる。8月末、アメリカは先鋭部隊デルタ・フォースと陸軍レンジャー、第160SOAR(ヘリ部隊)を投入し、アイディード排除と秩序回復を模索するが、3週間のミッションのはずが既に6週間が費やされ、軍上層部に焦りが見え始めていた。

10月2日土曜日、国連赤十字センターに運び込まれる救援物資に群がる民衆を、武装した将軍派の男達が無造作に撃ち殺しているのを、ただ監視するしかない米軍ヘリ。荒廃した首都では屋台で武器弾薬が売られ、アチコチで銃声が響いてる。その日、米軍特殊部隊は将軍派の幹部を捕縛。ガリソン少将(サム・シェパード)は、尋問に巧みなジョーク混じりで答える幹部の平然とした態度に業を煮やし、翌日街で行われる幹部集会を襲撃してアイディードの副官2名を拘束する作戦にゴー・サインを出す。若年兵が多いレンジャーと“無法者”ぶりが目立つデルタ・フォースが雑居する基地に緊張が走る。デルタの歴戦の勇士フート(エリック・バナ)は、初めてチョーク(班)の指揮を任されたマット・エヴァーズマン軍曹(ジョシュ・ハートネット)に言う----「部下を必ず連れて帰れ」。やってきたばかりの新兵トッド・ブラックバーン(オーランド・ブルーム)、デスクワーク専門で特技下士官ながら「コーヒー係」と自称するジョン・グライムズ(ユアン・マクレガー)らを従えて、エヴァーズマンはブラックホーク・ヘリに乗り込んだ。ミッションは急襲から撤収まで30分の予定だった。

10月3日、午後3時32分、4機のリトルバード・ヘリと8機のブラックホーク、ダニー・マクナイト中佐率いる数台編成の車輌隊、総勢百名による作戦が開始される。だが民兵はすでに武装し、タイヤを燃やして黒煙でスパイ衛星の視界を奪っていた。さらにヘリからの降下中に新兵の落下事故が発生。続いてブラックホークが撃墜され、降下したレンジャー達は市街に孤立することになる。街中の一般人も暴徒と化して彼らを襲い、民兵は2機目のヘリも撃墜。車輌隊による回収も期待できず、泥沼の市街戦が延々と展開されることになるのだった……。

1993年、内戦中のソマリアの首都モガディシュで勃発した大規模な市街戦を、事実に基づいて再現した“戦争映画”である。実際に現地に派遣されたアメリカ先鋭部隊の経験談を取材したノン・フィクション『ブラックホーク・ダウン〜アメリカ最強特殊部隊の戦闘記録』(ハヤカワ文庫)を映画化したものだが、とにかく第一印象はただただ「すっげえ」(笑)。いわば『プライベート・ライアン』の冒頭の上陸作戦の戦闘描写が、この映画では簡単な状況説明(観客へのブリーフィング)の後に、「もうやめてーっ」てぐらいにひたすら延々と続くワケなのだ。でもおそらくこれこそが「戦場」なのだろう。さすがリドリー・スコット(『ブレードランナー』『グラディエーター』『ハンニバル』)!って感じ。壮絶な「アクション大作」に感覚は痺れ、観終わるとぐったりするほどだが、これも一部で悪名高いヒット作量産型プロデューサー、ジェリー・ブラッカイマー(『コン・エアー』『アルマゲドン』『60セカンズ』『パール・ハーバー』)の、開き直りともとれる信念のバクハツめいていて、ひとまず「天晴れ」とは言ってやりたい。本年度アカデミー賞4部門ノミネートだがはたして獲れるか?ってとこか。

とにかく現存する戦争常態社会でのリアルな描写にまずビックリ(ロケ地はモロッコだとか)。映画の中の市街戦といえば、押井守の『アヴァロン』(個人的にはダメダメでした。感覚が古いし『イレイザーヘッド』や『マトリックス』のパクリだし)みたいなTVゲーム世界でしか描けないものなのか……と思ってたら、マジでひたすら殺し合うってなアナーキ−な激戦を、ひどくリアルにエグく再現しまくっているので、つい不謹慎に喜んでしまった。例えばどこか『ゾンビ』か『バイオ・ハザード』を思わせる“敵の群れ”描写なんてもう確信犯的なのだ。でも“敵”の描写は単純なエイリアン・パターンではなく、“敵”の幹部の立ち振る舞いはインテリ・マフィアも顔負けなクレバーさだし、“敵”の子供達による対米軍諜報ネットワークのギミック描写や、ハイテク兵器を無効にする戦術などもきちんと押さえ、米先鋭部隊にも一歩も引かない構えをみせる「異文化」として提示されている。『プライベート・ライアン』の100倍ホントくさい----って思ったのは、米軍のゴタク=「たった一人の仲間のためでも全部隊で救出もしくは回収にいくぜ!」って前提(この基本的なアメリカの美学ないし免罪符ないし自負を、単純に批判したり嫌悪感を表明するだけの評は、中途半端なインテリのやることなので注意しよう)が、『プライベート・ライアン』ではおセンチな物語に回収されてしまってるのに対し(あるいは『エネミー・ライン』では娯楽映画に徹してるのに対し)、コッチは軍人の最低限のモラルとして淡々と、若干の不条理さとの葛藤として描かれているのだ。そのクールさは逆に涙を誘いもする。あの『地獄の黙示録』の「殺傷してから治療保護する」ギャグめいた矛盾告発を継いだような、このシュールで悪夢的な実験映画スタイルで、「映画文法(物語)からいかに解放され、でも“ゴダーる”のではなくギリギリ大衆向けのハリウッド映画としての体裁は保ち、その上でメッセージではなく“事実”をいかに提出するか?」という難題に挑んで、なかば成功していると思う僕なのだった。ちょっと『蠅の王』とか『魔の王』のタッチを思い浮かべもした。

一応、主要視点人物としてジョシュ・ハートネット君(『パラサイト』『ヴァージン・スーサイズ』『パール・ハーバー』など)が班長さんで出てくるが、映画は群像劇で、しかも混乱するほど大量のキャラなので(それでも人数はかなり絞ってある)、あまり目立つ感じじゃない。『ロード・オブ・ザ・リング』のエルフ戦士役のオーランド・ブルーム君も新兵役であっさり途中退場するし。ちなみにユアン・マクレガー(『トレインスポッティング』『スター・ウォーズ』新シリーズ『ムーラン・ルージュ』など)演じる「コーヒー係」ジョン・グライムスのモデルとなった陸軍のジョン・ステビンス(36歳)は、2000年6月に12歳以下の少女をレイプした罪で懲役30年だとか。軍が隠してたが最近バレたらしい。そこを踏まえてみるのもオツかもしれん。ちゃんと役者を観るのを楽しみたい人は2回観ることをオススメする。でも体調は万全にしておくように。

Text:梶浦秀麿

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