[トンネル] Der Tunnel
2002年2002年4月13日よりシャンテシネにて公開

監督:ローランド・ズゾ・リヒター/出演:ハイノー・フェルヒ、ニコレッテ・クレビッツ、アレクサンドラ・マリア・ララ、ゼバスチャン・コッホ、マフメット・タルトゥルス、フェリックス・アイトナー、クラウディア・ミヒェルゼン、ウーヴェ・コキッシュ、ハインリッヒ・シュミーダー、サラー・クベル、ライナー・ゼリーン、カリン・バール他
(2001年/ドイツ/2時間47分/配給・宣伝:アルシネテラン)
∵公式サイト

まずハリー・メルヒャー(ハイノー・フェルヒ)が変装しながらこの数日を回想するところから始まる。1961年8月12日、東ドイツの水泳選手権大会・100メートル自由形で優勝した彼は、表彰台で東側の高官との握手を拒否する。「自由と名誉の問題だ。それを糧に生きてきた」と彼は独白する。53年の反ソ暴動で実刑を受け、4年間を刑務所で過ごしたハリーの、彼なりの復讐だった。彼の最愛の妹ロッテ(アレクサンドラ・マリア・ララ)とその夫テオ(ハインリッヒ・シュミーダー)が不安げに見守る。8月13日、西ベルリンとの国境が封鎖されたその夜、ハリーの親友で技師のマチス・ヒラー(ゼバスチャン・コッホ)達が下水道を逃げるが、身重の妻カロラ(クラウディア・ミヒェルゼン)が東ドイツの国境警備隊に捕まってしまう。ハリーもまた西側脱出を計画していたが、気がかりは妹ロッテのことだった。しかし彼女の夫は体制に順応していたし、まだ幼い娘のイナ(サラー・クベル)を危険にさらしたくないロッテは、ハリーに1人で逃げるように諭すのだった。8月26日の夜、マチスの用意した偽造パスポートを使い変装したハリーは、なんとか東ベルリンの検問所を通り抜けることに成功したのだった。しかしハリーの本当の苦難はこれから始まる。

マチスと再会し、仲間を紹介されたハリーは、すぐさま妹達を脱出させる計画に着手する。最初の仲間はハリーとマチスの他2人。東側で冷遇される貴族階級だったフレッド・フォン・クラウスニッツ(フェリックス・アイトナー)は母親を東ベルリンに残してきており、オレゴン州出身のヴィックことヴィットリオ・カスタンツァ(マフメット・タルトゥルス)は戦場で失った義足を誇示する理想主義者だった。妻を取り戻したいマチスの設計で、脱出用のトンネルを掘ることを提案するハリーに、最初は無謀だと笑い飛ばした彼らだったが、ハリーの情熱に押されて協力することになる。まずベルリンの壁に隣接した廃工場を借りうけ、その地下室で秘密裏に作業が開始される。145メートルのトンネルを9ヶ月かかって人力で掘るという大胆な計画だ。一方、東ベルリンの刑務所に入れられたカロラは、国家保安省のクリューガー大佐(ウーヴェ・コキッシュ)から、出獄と引き替えにロッテをスパイするよう強要されていた。お腹の子供の安全を引き合いした、冷酷な取り引きだった。また極秘に作業を進めていたハリー達は、ある日、尾行してきたフリッツィ(ニコレッテ・クレビッツ)という女性を捕まえる。偶然カフェで計画を聞きつけて、手伝いたいと追ってきたらしい。彼女は東ベルリンにいる恋人との再会を願っていた。トンネルの存在を知ってしまった彼女を突き放すわけにも行かず、仕方なく手伝わすことにする。初めはスパイかと疑っていたハリーだが、土砂崩れの下敷きになるところをフリッツィに助けられ、徐々に彼女に心を開くようになるのだった。しかし作業は遅々として進まず、彼らはさらに仲間を増やすことになる。アメリカのパスポートで自由に東西ベルリンを行き来できたヴィックは、しばしば東側に渡って、ハリーの手紙をロッテに届けるなどのスパイ行為をしてきたが、ある時、何故か検問で捕まり、クリューガー大佐のソ連流の拷問にさらされる。ロッテに近づいて友人となったカロラが密告したのだ。国境地帯の警備は日増しに厳しくなってゆく。地下ではトンネルがコンクリートの壁にぶつかり、ドリルの使用を余儀なくされた。その騒音を聞きとがめられ、あやうく露見するところを、亡命者を載せたバスの壁への突入でからくも誤魔化せたりもした。クリスマス・イヴの夜、憔悴したヴイックが解放されて戻ってきた。何故バレたのかわからなかった彼らだが、マチスの妻カロラの写真を見たヴィックは、彼女がロッテと一緒にいた女性だと気づく。マチスには黙って囮情報をロッテに流した彼らは、カロラから情報が漏れていることを確信するのだった。

計画に暗雲が立ちこめる。経済的援助の必要からアメリカのTV局に撮影を持ちかけることになり、ハリーは苛立ちを隠せないでいる。カロラに偽情報を掴まされ、利用価値がなくなったと判断したクリューガー大佐は、ロッテの夫テオに異例の昇進をさせ、それと引き替えに妻の情報を得ようとする。また東側で壁作りをしながらフリッツィとこっそり手紙のやり取りをしていた恋人ハイナーは、手紙に出てくるハリーの名に焦りを感じていた。心変わりを恐れたのか、無謀に壁越えをしようとするハイナーを警備隊の銃撃が見舞う。壁を挟んで泣き叫ぶフリッツィ。彼女の後を追ってきたハリーは、何とか助けようとするのだが、もはやハイナーはフリッツィの呼びかけにも応えることはなかった……。 絶望に打ちひしがれたフリッツィは、言葉も交わさず、ただハリーを求める。しばらくしてまどろみから醒めたハリーがバスルームで発見したのは、真っ赤に染まったバスタブに浸かる彼女の姿だった。一命は取りとめたものの、フリッツィはしばらく入院することになる。妻を疑われたマチスも仲間とギクシャクしてしまう。さらに東側のどこかの水道管が破損していて、トンネルが水没の危機に瀕したりと、さまざまな困難が彼らを襲う。トンネルが開通した後も、どうやって秘密裏に東側の人々を集めて脱出させるかという難題が待っている。果たしてこのトンネル脱出計画は成功するのか? クリューガー大佐ら東側との熾烈な暗闘の行方は?


「ベルリンの壁」ができて東西ドイツが完全分断された頃、壁の下を145mもの長さのトンネルが秘密裏に掘られていた。東側から逃げてきた人々が執念で掘り続け、残してきた家族や知人を脱出させようとしたのだ----冷戦時代のドイツ・ベルリンであった実話に基づいた2時間47分の大長編ドラマである。タイトルのシンプルさと上映時間の長さに、観る前はちょっと尻込みしたけど、これが迫力のサスペンス・ドラマに仕上がっていて、ずうっと手に汗握る引き込まれ方で見入ってしまった。「実話」をもとにした映画ってのも最近やたらと多いけれど、その脚色の仕方が凄いことになっていて賛否両論って状態。例えば『ビューティフル・マインド』に関してはTVブロス8(4/13-4/26)号の町山智浩「まいっちんぐUSA」が強烈な大批判をしていて必読なんだけど、もはや観客は「リアリティ」というものを期待してはいけないのかも知れない。本作でもご都合主義だなぁと後から思える演出がいっぱいあるんだけど、3時間近い長丁場をグイグイと見せるためには致し方ないか、とも思うのだった(事実に詳しいヒトはツッコミがいもあるしね)。それだけ良くできているドラマなので、現代史の一断面に興味のある人は劇場へ急ごう。でも東側の総崩れで「壁」が無くなったのももう十数年も前のことだし、2002年現在の若い子にとって、この映画の意味を実感するのは、もはや難しいかも知れないなぁ……。

ソ連型社会主義の「間違い」は、浅間山荘事件が縮小再生産した上で戯画化して見せた時点で自明であるはずなんだけど、その“アサマもの”映画やTVドキュメンタリーも昨今あちこちで作られてたりするワケで、ある意味、前世紀の大事件だった「社会主義」イデオロギーの再定義が、ここにきて右左それぞれのシンパによってなされようとしているのだろう。冷戦が一応解体して十年たったので、それまで割と細やかな技法で描かれてきた(いや時にはあからさまな反共プロパガンダ映画もあったけど)この手の作品群にも、新たな展開が生じてきているのかも知れない。本作も核として「西側=自由、東側=抑圧」って図式が前提としてあって、東側の末端の人々も仕方なくやってる感アリアリの描写がしてあって興味深かった。特に東側の人間の非人間的な、というか余りにも人間的な「人間の弱点」を衝いたシステムの描写が個人的には面白くて、これは社会主義云々っていうより昨今の学校とかリストラ名目の会社とかでの「いじめ」に酷似しているのではないかって思ったりもした。旧東側が洗練させた酷薄なシステムを、西側でこっそり採用してるのか、それとも進歩史観で考えて未来は「いじめ社会」になるのか? そんなことまで考えたりしてしまった。まあ映画では東ベルリンの「間抜けぶり」の描写も際立っているので、本当にそんなにバカなのかどうかも疑わしいところなんだけど……。あと鬼畜なヒトは最近ブームらしい「妹もの」として、想像を逞しくして観るのも手かも。しかしこうした冷戦下の左右思想対立状況でこそ愛とか友情などの人間関係の濃い絆やドラマが輝くってのは、ナンギな問題でもあるなぁ。というか、日本の隣国の半島などでは、まだ終わってない問題であることを失念しちゃいけないんだけどさ。

ローランド・ズゾ・リヒター監督は「ベルリンの壁」建設が始まった61年生まれ。本作を前後編のミニシリーズとしてTV放映して「ドイツのエミー賞(TV界のアカデミー賞)」と言われるドイツ・テレビ賞のベスト・ミニシリーズ賞を受賞、バイエルン・テレビ賞では監督賞および主演男優賞(ハイノー・フェルヒ)を受賞。その後、さらに編集し直した劇場版は各地の国際映画祭に招待され、モントリオール国際映画祭とロサンゼルスのドイツ映画祭では観客賞を受賞、パームスプリングス映画祭では最優秀作品賞を受賞している他、パリのドイツ映画祭やニューヨーク近代美術館での新ドイツ映画祭でもオープニング作品として招聘されている。主人公ハリー役のハイノー・フェルヒは、トム・ティクヴァ『ラン・ローラ・ラン』、フォルカー・シュレンドルフ『魔王』などにも出演し(他『逢いたくてヴェニス』にも)、リヒター作品には3度目の出演。「ドイツのブルース・ウィリス」とも評されてるだけあって、時折ブルースそっくりと思わせるシーンがある。特に髪の生え方とか(笑)。またヒロインとなるフリッツィを演じるのは『バンディッツ』『CLUBフアンダンゴ』のニコレッテ・クレビッツ。マチス役をドイツ・テレビ賞で助演男優賞にノミネートされたゼバスチャン・コッホ、マチスの妻カロラ役にゴダールの『新ドイツ零年』のクラウディア・ミヒェルゼンが扮している。

Text:梶浦秀麿

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