[I am Sam アイ・アム・サム] I AM SAM
2002年6月8日より丸の内プラゼールほか全国松竹系にて公開

監督・共同脚本・製作:ジェシー・ネルソン/出演:ショーン・ペン、ダコタ・ファニング、ミシェル・ファイファー、ダイアン・ウィースト、ローラ・ダーンほか
(2001年/アメリカ/2時間13分/配給:松竹、アスミック・エース)

∵公式サイト

【STORY】
自閉症の知的障害者であるサム(ショーン・ペン)は、ビートルズのことなら何でも知ってるビートルズ博士で折り紙の天才でもあり、施設にいた映画オタクの仲間イフティ(ダグ・ハッチソン)の影響で、好きな映画の台詞ならスラスラと暗唱できるし、そして周囲の人を色で識別する共感覚の才能も少し持っている。でも施設の知能テストでは7歳児程度の知能であると判定されていた。そんな彼は施設を出てから映画館の掃除係を経て、今はスターバックスの掃除係として働きながら、一人娘のルーシー(ダコタ・ファニング)を育ててきた。実はサムのパートナーだったレベッカは、ルーシーを生んですぐ失踪してしまったのだ。でも施設の仲間、イフティや切手が趣味のブラッド(ブラッド・アラン・シルヴァーマン)、折り紙が得意なジョー(ジョセフ・ローゼンバーグ)やちょっと陰謀妄想の入ってるロバート(スタンリー・デサンティス)達の協力、そして隣人の元ピアニストで外出恐怖症のアニー(ダイアン・ウィースト)にも助けられながら、ルーシーはすくすくと利発な娘に育っていった。だが彼女が小学校に上がって父親より学習程度が進んだせいもあって、ある問題が起きる。児童福祉局のソーシャル・ワーカー、マーガレット・キャルグローブ(ロレッタ・ディヴァイン)は、彼に養育能力がないとしてルーシーを施設に入れ、里親に預けるべきだと判断したのだ。突然窮地に陥ったサムは、仲間の薦めで敏腕弁護士のリタ・ハリソン(ミシェル・ファイファー)に弁護を依頼。体よくあしらうつもりだったリタは、巻き込まれるようにしてボランティアで弁護をするハメになる。裁判での駆け引きを知らないサムに苛立ちながらも、夫や息子とうまくいかない自分に比べ、サムとルーシー父娘が深い愛情で結び付けられている姿に心を動かされていくのだった。だが裁判はサムに不利な情勢へと向かいつつあった……。


【REVEW】
泣くもんか、と思いながら観ると泣いてしまう感動の親子(父娘)もの。僕は予告編だけでウルウルきてしまって、ちょい警戒しつつ鑑賞し、案の定、名場面はほぼ予告で流れちゃってるので既視感バリバリだったんだけど、やっぱり同じ場面でウルウルときてしまった。で、アチコチの批評のせいで単純なアリガチ感動ものって先入観を持って観てしまったんだけど、これがなかなかメタフィクショナルな仕掛けもある不思議な感覚を醸し出してて、思わず一連の「イディオ・サヴァン(白痴天才)」映画と引き比べたりしつつ、いろんなことを考えてしまった。いやぁこれが一作で二度美味しいって逸品なのだ。ここで「余談。」とか言っていろいろ書くのがいつもの僕だけど、今回は長くなるので詳しくはコラム(→「cinema P vol.1」)を読んでね。

『コリーナ、コリーナ』で監督デビューし、『グッドナイト・ムーン』や『ストーリー・オブ・ラブ』で共同脚本を手掛けてきたジェシー・ネルソンが、製作・脚本も務めての監督第2作。これまでの監督・脚本作に共通する「夫婦や家族にまつわる愛の物語」なんだけど、デビュー作でジャズの引用にこだわったように、本作では絵本や映画やビートルズの引用が散りばめられていて、この監督の資質(もしかしたら彼女の出自である現代演劇の流れかもしれない)が垣間見えた気がした。知的障害者である父親役を名優ショーン・ペンがユーモラスかつ真摯に演じ、弁護士役の名女優ミシェル・ファイファーとの掛け合いもコミカルでテンポいい、でも特筆すべきは「恐るべき子供」、幼い娘ルーシー役のダコタ・ファニングの愛らしくも賢い名子役ぶりだ。健気に父を慕う娘を撮影時6歳で演じてしまえるなんて! あんまりにも利発で、かつキュートなので、不気味ささえ感じさせる、末恐ろしい少女俳優である。彼女を観るだけでも価値あり(←うーむ、ロリ入ってるかな)。あ、ミシェル・ファイファーは『ストーリー・オブ・ラブ』でも離婚の危機にある妻を演じていたので、本作と観比べてみると面白いかも。

Text:梶浦秀麿

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