[小さな中国のお針子]
BALZAC ET LA PETITE TAILLEUSE CHINOISE

2003年1月25日より、Bunkamuraル・シネマにてロードショー

監督・脚本・原作:ダイ・シージエ/製作:リズ・ファヨル/音楽:ワン・プージャン/衣装:トン・ファミャオ/出演:ジョウ・シュン、チュン・コン、リィウ・イエ、ツォン・チーチュン、ワン・ホンウェイほか
(2002年/フランス(中国語)/110分/配給:アルバトロス・フィルム)

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【STORY】
1971年、中国はプロレタリア文化大革命(文革)に大きく揺れていた。この頃毛沢東は、共産主義を支える農民による“再教育”をうけさせる目的で、“反革命分子”とみなされた多くのブルジョア階級の子息を山奥へと送り込んだ。共に親を医者に持つマ−とルオも、その政策下、チベット国境近くのけわしい山間にある小さな村へ行かされる事になる。マ−17歳、ルオ18歳のこと。こうして始まった2人の労働生活。善良だけれど、毛沢東に忠義を尽くす村長と、彼に従順な村人達の共産主義の小さな模擬社会。この村での過酷で原始的な生活がこれからどれだけ続くのだろうと消沈してしまうのだった。

ある日、水浴をする少女達の中に、他に秀でた美しい少女をみかける。その後マ−とルオの生活に喜びを与えるその少女は、人びとから尊敬を受けるモードの創作者、仕立て屋の孫娘「お針子」だった。いつも祖父の仕立てる服に身を包み、他の村娘とは違う何かをもっている。当然マ−とルオは「お針子」に恋をし、「お針子」は都会から来た2人の青年に惹かれていく。

この時すでに焚書により、書物の入手は不可能だった。頭は良いけれど、文字も読めない、ここでの生活が全ての「お針子」に様々の知識と思想を与えようとしていた2人が文学の話をすると、「お針子」は、同じく再教育でこの村に来ている「めがね」という青年が“鞄一杯の西洋の本”を持っていると言う。文学への渇望から2人はその鞄を盗む事に。こうして手に入れたものは、マーとルオでさえ始めて目にする西洋の書物の数々。スタンダール、デュマ、ドストエフスキー、フローベール、バルザック …まさに“夢の鞄”。特に厳しく禁止されていたこれらの本を、マ−とルオはこっそり夜中に読みふけり、それを「お針子」に読み聞かせる。思想的抑圧のさなか3人は西洋の思想に触れ、新たな知恵や発想を身につける。時に、村人に話を聞かせるという条件で町へ映画をみに行く事を許されていた2人は、手に入れた西洋文学のあらすじを、上映された映画の内容といって話し聞かせる狡猾さや、喜びを与える事で自分達の重要性を人びとに感じさせるという処世術まで身につけるようになる。

やがてルオが父の病のため2ヶ月村を離れる事になる。「お針子」はルオの子供を妊娠していた。恋心をずっと隠していたマ−は「お針子」の堕胎手術のために翻弄したり、友人として振る舞いを通し続ける。ルオは村へ戻るが、「お針子」はバルザックの“女性の美は最高の力”という言葉にかけて一人村を出ていってしまう。

【REVIEW】
まるで山水画そのものの山々をぬって、天国に続くとも思える石階段の道を2人の主人公が登って行くシーンで始まる。たどり着いた先は近代文明から隔離されたコミューン。ここなら絶対仙人とか、妖精とかいるでしょうと思ってしまうロケーションには圧巻。そんなところに、可憐な「お針子」が登場する。仕立て屋の孫娘の特権で、すらりとした肢体にはいつも、上質の生地や美しい刺繍の施されたファッショナブルな装いで、それはちょうど、絵本の中のお姫さまのような存在。水浴を楽しむ娘達、山村の人の心を癒すマ−の奏でるバイオリンの調べ、魔法使い(仙人?)のような仕立て屋と、そのミシンが次々につくり出す娘達のカラフルな衣装。詩的で美しい情景の中ユーモラスに描かれる世界からは、文革世代のトラウマみたいな暗いものは殆ど感じられない。

『小さな中国のお針子』は、ダイ・シージェ監督がみずからの体験を元にフランス語で書き、フランスでベストセラーとなった自伝的小説『バルザックと小さな中国のお針子』を映画化したもの。作中、自身は後にバイオリニストとしてパリに暮らすマ−青年の姿で描かれている。文革後同じくパリへ留学したダイ・シージェ監督はそこで、ジャン・ルーシュ、ロメールといったヌーベルバーグの名匠達と出会い、映画の道を歩み続けた。だから当然といえば当然なのだけれど、中国人の作った中国の映画であっても、ほとんど感覚としてはフランス映画を観ているのに近い気がする。生粋の(?)中国人監督の作品にも、勿論センスの良い作品や名作はたくさんあるし、日本でもオシャレなものとしてみられる映画なんかもあるけれど、どうしても中国映画は中国映画だったりする。『小さな中国のお針子』に、それらと異なる印象を持つのは、故郷を離れているからこそ描けるノスタルジーとか、社会主義の国の外側からみる中国の魅力や神秘が、かなり洗練された描かれ方をしているから。そういったみせ方はとりわけヨーロッパや日本人好みすると思う。

結局「お針子」はマ−とルオに与えられた西洋文学の思想よって外の世界や未知のものに開眼し、2人がこの村に来る時に登ったのと同じ石階段の道を、山のむこう目指して去って行く。お気に入りだったのは女性の美をたたえたバルザック。なんとなく「お針子」の気持、わかるような気が…。1冊の【本】が人生をも変え得るということですね。

Text:kodama yu

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