[神に選ばれし無敵の男] INVINCIBLE
2003年5月24日より銀座テアトルシネマにて公開

監督・脚本:ヴェルナー・ヘルツォーク/製作:ゲーリー・バート、ヴェルナー・ヘルツォーク、クリスティン・ルパート/音楽:ハンス・ジマー、クラウス・バデルト/撮影:ペーター・ツァイトリンガー/出演:ティム・ロス、ヨウコ・アホラ、アンナ・ゴラーリ、マックス・ラーベ、ヤコブ・ウェイン、ウド・キアー他
(2001年/ドイツ・イギリス合作映画/130分/配給:東北新社)

【STORY】
ヒトラーのナチスが頭角を現してきた頃のベルリンに実在した、予言者ハヌッセンと、同じくユダヤ人に語り継がれる伝説の力持ちジシェという2人の人物をモデルに描かれた物語。

ポーランドの片田舎で鍛冶屋を営むユダヤ人の一家の長男、ジシェ。9歳の弟ベンジャミンは賢く弁がたち、ジシェ自慢の、一番のお気に入りの弟。ある日2人は町の食堂に入る。そこでうけた他の客の嫌がらせに耐えきれず、乱闘騒ぎを起こしてしまったジシェは、店への弁償金を得るため、その晩行われるサーカスのショーで、“世界一の力持ち男”に挑む。ジシェはことなく賞金を手にする。ショーに居合わせ、ジシェの怪力に目を付けたベルリン、ヴァリエテ界のエージェントの熱烈なアプローチを断り続けたが、ある日漠然と自分に与えられた使命を思い立ち、ベルリンへ行く事を決意した。

ベルリン、【オカルトの館】。ここでは夜毎、政界人や軍人、貴族などの要人が、千里眼を自称するハヌッセンという男のミステリアスな演出によるショーに興じてる。ジシェはそこで“シークフリート”という芸名を与えられ、ユダヤ人である事を隠して、“力自慢”の舞台に立っていた。ハヌッセンの人格や、ここで行われる事への猜疑心をもちながら日々過ごしているそんな時、母と弟ベンジャミンの突然の訪問を受け、我にかえったジシェは、自らユダヤ人である事を舞台で告白する。しかし、翌日から「現代のサムソン」との評判を得、新たなヒーローとしてますます興行成績を伸ばす結果となった。

【オカルトの館】で唯一ジシェの癒しとなったのは、ハヌッセンの屋敷に囲われて、同じくここでピアノをひくマルタという女性。ユダヤ排斥思想が高まって行く中、ハヌッセンはナチスの幹部らを招き船上パーティーを開く。暴君的なハヌッセンに恐れるマルタに懇願され、ジシェはこのパーティーに自分が歓迎されない事をしりつつも同乗。そこでの諍いに端を発し、ジシェとハヌッセンは法廷で争う事になる。裁判のなかで露見したハヌッセンの素性。もくろんでいたナチス入閣を目前にハヌッセンは失脚、まもなく何者かに暗殺されてしまった。【オカルトの館】は閉鎖され、ジシェは故郷へ戻る。

帰郷したジシェは、神父から聞いた、各時代ごとにあらわれるという“神に選ばれし36人の正しきユダヤ人”の説話、身に迫るナチスの脅威を人々に訴えるが、数年後それが史実となる事を知る由もない小さな村にはジシェの言葉に耳をかすものはいなかった…。

【REVIEW】
ヘルツォークは、ニュージャーマンシネマを代表する監督の1人であるが、ヴェンダースなどに比べると、その視点、取り上げる人物像からしてマニア受けの感がある。彼の作品に登場するのはいつも、魔術師だとかとかフリークスだとかなかなか我々の日常生活ではお目にかかる事のない世界に生きる人々。“神に選ばれし無敵の男”においても、ヴァリエテ界という特異な舞台に予言者、“世界一の力持ち”という特異の設定があって、その、他と差別化される独特の世界は健在だけれど、ティム・ロスの起用が効いているのか、かなり入りやすい印象をうける。

ハヌッセンは、ヒトラーと同じ日に生まれ、彼のおかかえ占い師として演説を指南したといわれる。千里眼を称し、巧みにナチスへ入り込んだ彼の力のどこまでが真実か疑わしいとはされているが、ヨーロッパではかなり知られたオカルトの人なのだそうだ。もう1人の主役ジシェも、ハヌッセンと同時期に実在した人物で、ユダヤ民族の救世主【現代のサムソン】といわれた、伝説の英雄。(【現代のサムソン】とは、紀元前奴隷となったヘブライの民を救ったユダヤ人の英雄サムソンからきている)“神に選ばれし無敵の男”は、この2人をモデルに描かれたフィクションで、映画のなかのエピソードはどこまでが事実なのかわからない。

ティム・ロス以外のメインキャストは本職を俳優としない、役どころそのままを生業としている人たちで、力持ちジシェは本当に“世界一の力持ち”タイトル保持者、ピアニストのマルタもその表情豊かな演奏で世界的に著名なピアニスト。その配役効果はかなり有効で、プロフェッショナルなティム・ロスの演技は異彩を放ちながらも、かといって無意味に浮いてしまっているわけではなく、狙った嫌らしさのない他の役者の朴訥さとの“押しと引き”のような相互バランスがうまくとれている。とはいっても、処世術として自分を偽って生きてきたハヌッセンという人の存在自体が“役者”だったわけで、一人だけ変にソフィスティケトされた身のこなしや演劇的なところは、リアリティーの再現にかなっている。だとするとここに“俳優”を持ってくるのはその他のキャスティング同様のロジックなのである。

妖艶ともいえるティム・ロスの無気味で怪しい演技。ドラキュラ伯爵を思わせるデカダンな風采や物腰は、ハヌッセンという人を解釈する上でとても自然に入ってくる。怪しい穏やかさと共存する狂暴性、そして憂いや悲しみと言ったもの、それらは、悪者であるはずのハヌッセンに対する同情を呼びおこす。ハヌッセンも神に選ばれしユダヤ人だったのかもなんて…。ハヌッセンの最後の台詞“最後までエレガントでいたい”。あなたはこの言葉に何を思うでしょうか?

映像的には、全体に無彩色な中、くらげの浮遊するブルーの水槽だとか、シジェがくり返しみる夢にでてくる真っ赤な蟹の群。そういう閃光が、強烈な印象を残すだけでなく、全体にめりはりをつけていて、東欧やドイツ映画に“暗い”イメージを持つ人は少なくないと思うけれど、カラーの楽しみもちゃんとあります。

例えば、誰に自己投影するかとか、映像にしろ台詞にしろ抽象的表現をどう捕らえるかは受け取り手次第。“神に選ばれし無敵の男”はそんな芸術的とも文学的とも言える楽しみ方の出来る、“普通の映画ではちょっと物足りない”と言う方にお勧めの、まさに第7のアートな映画ではないでしょうか?

Text:kodama yu
確かに、出来は悪くない映画だ。いや、映画としての出来は、「上」に入ると思う。まず、第一に、役者の個性が際立っている。強靭な腕力を持つ純朴な鍛冶屋の青年、シジェと大舞台での演奏を夢見るピアニスト、マルタ。2人とは対照的に、自分を偽り、人を欺くことで富と名声を得たハヌッセン。シジェとマルタ役には、演技経験の全くない、ただし、それぞれの世界で実際に一流の人物をあてがい、ハヌッセン役には、英国舞台俳優として地位を確立しているティム・ロスをキャスティングすることで、役者の個性が役柄の持ち味としてうまく引き出されていた点。次に、物語として、ドラマチックに、かつ全体的にファンタジックな映像美がつらぬかれていた点が挙げられる。

しかし、そこには、かつてのヘルツォーク作品『アギーレ・神の怒り』、『フィツカラルド』等に描かれた、どこまでも高みを目指す魂の気高さや、目を釘付けにする映像といったものは見られなかった。

最後に、あまりにドラマチックな演出により、ベートーベン ピアノソナタ3番 第2楽章が、ムード音楽にしか聞こえなかったことを付け加えたい。また、巨匠といわれる監督および監督を崇拝する映画ファンに対する失礼をお許し願いたい。

Text:minako kurosawa


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