In the cut
ロマコメの女王が挑む、
まともな恋愛ができずに悩む文学教授がヒロインの、ラブ・サスペンス劇。

STORY:
NYの大学で文学を教えているフラニー(メグ・ライアン)は、街で見かけたり耳に入った「気に入った言葉」をメモに書き止める習慣をもつ30代の独身女性だ。ある日、彼女は遊びに来ていた腹違いの妹ポーリーン(ジェニファー・ジェイソン・リー)と共に外出した後、教え子で猟奇連続犯罪鬼ジョン・ウェイン・ゲイシーを追っかけてる黒人学生コーネリアス(シャーリー・バグ)と会い、若い黒人のスラングの取材も兼ねて場末のバーに入る。その地下便所で、娼婦らしき女にフェラチオさせている男を盗み見てしまった彼女は、男の顔は見えなかったものの、手首にあった「スペードの3」の刺青が気になってしまう。その後、殺人課のプエルトリコ系の刑事マロイ(マーク・ラファロ)が聞き込みに来る。彼女のアパートの裏で、女性の切断された首が発見されたというのだ。被害者はあのフェラチオ女らしい。

フラニーは、ロマンチックな恋愛結婚をしたはずの両親の離婚(父は5度も結婚離婚を繰り返すのだ)のトラウマから、恋愛に対しては幼少時から臆病なタチだった。今も二度寝ただけの元カレで、ケヴィン・ベーコンに似ているのが自慢の病的な男ジョン・グラハム(ケヴィン・ベーコン)がしつこく付きまとうのに辟易していた。マロイの相棒の刑事ロドリゲス(ニック・ダミチ)も、妻との諍いで発砲したせいで拳銃を没収されたというし(代わりに水鉄砲を持っている)、ポーリーンも医者との不倫がこじれて泥沼に陥っていた。男女の関係に夢を持つ齢でもない。だが情熱的で、性的にも魅力的なマロイ刑事と、つい関係を持ってしまったフラニーは、彼の手首にも「スペード3」の刺青があることに気づく。「同じような刺青をしている男は大勢いる」というマロイだが……。猟奇殺人事件は続き、フラニー自身も暴漢に襲われて、彼女の心は揺れる。コーネリアスも疑われて警察で訊問を受けたようだ。さらにフラニーの身近で事件が起こり、彼女は精神的にも追い詰められてゆく……。

REVIEW:
ちょっと文芸色のあるサスペンス映画の小品、というかスリラー・ジャンル映画という枠を、レディコミorハーレクイン・ロマンス方面にハミ出した感触が、なんともヘンテコな味になってる女流映画(差別発言か?)であった。『エンジェル・アット・マイ・テーブル』『ピアノ・レッスン』『ある貴婦人の肖像』『ホーリー・スモーク』のジェーン・カンピオンが監督し、当初主演予定だったニコール・キッドマンが製作にまわり、“ロマコメの女王”メグ・ライアン(『ベスト・フレンズ』『トップガン』『プレシディオの男たち』『恋人たちの予感』『めぐり逢えたら』『シティ・オブ・エンジェル』『ユー・ガット・メール』『電話で抱きしめて』『プルーフ・オブ・ライフ』『ニューヨークの恋人』『デブラ・ウィンガーを探して』など)が主演。「私の女優人生を吹き飛ばす爆弾のような作品」と語る彼女の、体当たりのファック・シーン(自慰とか垂れ乳とか着衣騎乗位とか)ってのがウリの一つ。である。

恋愛(結婚)の不可能性に悩む30代の知的なキャリア女性(いわゆる「負け犬女」だな)が、連続猟奇殺人事件に巻き込まれ、その殺人鬼かもしれない男の支配的なセックスの魅力に溺れそうになる……ってのが大筋。だけど、「マゾっ気あるエロス」と「サスペンス(ちゃんとしたフーダニット=犯人当て)」をキッチリ融合させた娯楽作としてならチェン・カイコー『キリング・ミー・ソフトリー』にちと及ばず……って感じか。メグ流に言えば、ヘザー・グラハムの女優人生は既にとっくに吹っ飛んでるってことになる。とにかく『ブラウン・バニー』のレヴュー余談で書いたように、ボカシ対応の局部アップ目撃ってのが序盤のフックでは、ちょっと興醒めなのは否めない。んでカンピオン一流の「堕ちる女の愛の成就」的美学からしてもキム・ギドク『悪い男』の迫力にはかなわないだろう。

ではそっち方面ではない本作独自の魅力とは何か? 例えばテーマ曲の「ケ・セラ・セラ」が恐い、とか? こんな倦怠感あふれるホラー調の「♪なるようになる〜」なんて聞いたことないや、と思ったし、エンド・ロールでは続けてストーカーかDV男の愛の歌みたいなのがかかるってのもビミョーに恐い……ってことで、まずそうした不安で不穏な、でもはっきりネガティヴでもない浮遊感のようなもの(もしかして女性的な曖昧な不安、更年期障害的な……?)こそ、善かれ悪しかれ本作が目指してた方向のひとつだとは思う。

文学少女のなれの果て系ヒロインの「言葉探し」趣味ってのも意味ありげだ。地下鉄や街路の広告コピーや詩、ふと耳にした言葉、面白い単語(イスマスisthmus=地峡とか)や黒人学生から教えてもらったスラング(ブロッコリとか)などなど……公式サイト冒頭のフラッシュでも列挙されてるけれど、これらが事件に関わるのかどうか?とか考えながら観ていると、奇妙な視野狭窄感=全てが彼女の妄想で、彼女こそが連続殺人鬼だ、と思いきって誤読する方が面白い観方にも思えてくる。

ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』の“赤い灯台”についての授業、「レッド・タートル」という事件の発端となるバーの名の中の“赤”、あるいは宣伝ヴィジュアルのキイ・イメージである「イン・ザ・カット=スリット(裂け目)の奥」のグラデーションのかかった/襞のある“赤い肉色”……などというのにこだわるなら、蓮實重彦が季刊「考える人」で展開している虚構論『「赤」の誘惑』を持ってきてもいい。“「赤」という語に「女」の意味などない”とする論理学や記号学や言語学などの偉い学者達を次々に論難しながら、小説という言語フィクションに登場する「赤」が示すものが、現実の「赤」の機能と相互侵犯しながら「女性性」と仮に呼びたくなるような意味を発生させてしまっている事態に、“虚構(美学)と現実”なんて問題構制の不可能性を探るかのようなこの連載評論(読みにくいハスミ意地悪文体なので、僕が捉え間違ってるかもしれんが)を、この映画のサブテキストにしてみるのも一興かも。ちゃんとウルフの『灯台へ』ネタも出てくるし。だから一見、サディスティックな暴力に強烈に惹かれながらも、ついには女独りで敢然と抗してみせましたってな、フェミくずれで健全なB級サスペンス・オチにも思える本作が、その通俗で収まりのよい見え方にしては無駄なディテールに溢れていることに、ニヤニヤしてみせるってのが、正しい観方なのかもしれない。

Text:Hidemaro Kajiura

Copyright © 2004 UNZIP.
『イン・ザ・カット』
2004年4月3日から丸の内ピカデリー2他・全国松竹東急系にて公開
(2003年/オーストラリア+アメリカ+イギリス/1時間59分/配給:ギャガ・ヒューマックス共同配給)

CAST&CREW:
監督:ジェーン・カンピオン
製作:ニコール・キッドマン
原作:スザンナ・ムーア『イン・ザ・カット』(ハヤカワ文庫)
出演:メグ・ライアン、マーク・ラファロ、ジェニファー・ジェイソン・リー、ケヴィン・ベーコン、ニック・ダミチ、シャーリー・バグほか

REVIEWER:
梶浦秀麿

INTERNAL LINK:
コラム“feminine optics”メグ・ライアン×『イン・ザ・カット』きさらぎ尚

EXTERNAL LINK:
『イン・ザ・カット』公式サイト

BOOK:
イン・ザ・カット ハヤカワ文庫NV
スザンナ・ムーア著/早川書房