新作『CODE46』のプロモーションで来日したマイケル・ウィンターボトム監督に会える! ってんで大いに意気込んで会見場所にいったら、なんだか時間待ちの応接室が鮨詰め状態。いちおうウェブ系のみ9媒体ってのが、僕らの回の取材サイドの構成だったみたいで、ありゃりゃんこれってミニ記者会見だわさ。和気あいあいなお喋りなんてしようがないじゃん。いわゆる記者会見テイストの(監督挨拶のない)、質疑応答一媒体一質問のみとなってしまったりしたのだった。となるといっぱい用意した質問とか雑談ネタは使えん、困った。ちと不完全燃焼な感はあるが、ま、初めてナマで監督を間近に見られることには感謝して、挑んだのであった。では、04年8月12日(木)15:05〜15:45、東京テアトル7階・第一会議室での記者会見の模様を再現してみよう(しかしウェブをうろつくとホテル西洋銀座で行なわれた取材というのもあったみたいで、なんか差別だぁとか思ったり。ヒガミ根性全開ですな、ちょっと個人的に鬱気味だす。だから以下の会見自体はテープ起してみたら結構、濃いかも、充実してるかも……とは後から思った。別の回の会見やホテル取材で訊かれてる質問もかなり似通ってるので、他のと読み比べると面白いかも。でも同じことばっか訊かれて、ウィンターボトム監督も疲れたかもなぁとかも思った)。

今回は初のSF作品ですが、何故SF映画を?いつかは撮りたかったものなのでしょうか?
「正直に言ってわからないんです、どうしてこういうSF物語になったのかは。もともと発想の時点ではラブストーリーを、非常にシンプルなラブストーリーを撮りたい、そしてオィディプス的な物語をやりたいな、という気持ちはあったんですね。それで、近未来を舞台にすれば、普通の、我々の通常の世界ではなく、ちょっとこう夢の中にいるような雰囲気の世界感を作り上げられるんじゃないかというのが、出発点なんです。でもどんな映画もそうですけれども、製作していく過程の中でいろいろと変化していくわけで、今回の場合は近未来といってもどういう社会なのかな?と考えるにつれて、社会性というものも帯びてきたのではないかと思います」

近未来、そう遠くない未来の、刹那的なラブストーリーということですが、このアイデアといいますかインスピレーションというのはどこから来たんですか?
「とても、とてもシンプルなラブストーリーを作りたいというのが出発点だったので、ですから二人の人間が出会って恋に落ちるんだけれども、どうしても一緒にいられない理由があるという物語になったんですね。誰しもが、人生のどこかの段階で恋に落ちるという経験はしていると思いますし、それだけに、皆さんがきっとわかってくれる、感情移入できる物語ではないかなと思ったんですね。また恋の多くは別れで終わりますから(笑)、そういう意味でもわかってもらえるのではと考えたわけです」

サマンサ・モートンとティム・ロビンスと二人の組み合わせが素晴らしいと思いました。これもよく訊かれると思うんですけど、この二人のキャスティングの理由を教えていただけますか?
CODE46
「この主人公二人なんですが、やっぱり観客の方が見て、『この二人なら恋に落ちるなぁ』と納得させられるような組み合わせでなければならず、また遺伝子を介してつながっているということも信じさせてくれるような二人でなければいけなかったんですね。でも、それでいて初めてこの二人が出会った時に、すぐさま恋に落ちるとは最初は思わないような意外性を持った組み合わせにしたいという気持ちもありました。つまり、それだけに二人が、ウィリアムとマリアが出会った時というのは、肉体的あるいは表面上の理由でお互いに惹かれたのではなくて、何かもっとそれより大きな力が働いて恋に落ちたんだという風に、観客の方に観て欲しかったんです。キャスティングにおいては、コンビネーションが、つまり二人の組み合わせが大きな要でしたので、一人ずつ役に合った人を捜してそれぞれにキャスティングしたというよりは、コンビネーションというものを念頭に置きながら、でも最終的には本能的に起用を決めました、『この二人の役にぴったりなのは誰だろう?』と思いながら……。具体的に、ウィリアムは調査員のような役で、この社会のシステムというものを信じている、擁護している、要するにある種、体制派の人間なわけですよね。反してマリアは反逆者、反体制的な心を持った、“フリー・スピリット=自由な魂”を持った女性である。だから俳優を捜す時も、それぞれの資質をどこかで感じさせてくれるような方に決めたんです」

劇中でボブ・マーリィの「ノー・ウーマン、ノー・クライ」を二人で歌うシーンがありました。近未来の、しかも上海でレゲエ・ソングを、しかも音痴に歌い合うというところが、すごく意表をつかれて面白かったんですけど、この歌の選曲の理由と、あそこはワザと下手糞に歌ってもらったのか、それとも二人にいろんな演出をして歌ってもらったりしたのか教えてください。二人が楽しそうだったので、演技指導なんかの話にも拡げてもらえれば……。
「実は映画の中では音痴なんですけれども、お二人ともとても歌が巧いんですね。とても上手に歌ってしまうので、音痴に歌ってもらうのに非常に苦労しました(笑)。なぜ音痴だったかというのは……この二人は、話が進むにつれてわかることですけれども、共通して持っている遺伝子があって、同じ資質を持ち合わせている、それがたまたま音痴だったということなんです。いや実は僕自身が音痴なので(笑)、この二人が下手糞に歌ってもちょっと可愛いかな、という気持ちもあって、そういう風に演出しました。また何故この曲にしたかというのは特に理由はなくて、まぁ好きだから、ですね」

どの作品もロケーションにこだわられていますが、今回の上海とドバイというロケーションは、最初からイメージがあったのでしょうか?
「もちろんイメージに適していたということもあるんですが……。まずロケーションをどうしようかな、と思った時には、いろいろと写真集を見たり、興味を持っている所をいろいろ話し合ったりしてから、実際にロケハンに出かけて行ったわけです。で、行った先というのはクアラルンプール、香港、ドゥバイ、上海、それからインドのチャイプールだったんですけれど、特にメインの場所を上海に決めたのは、もちろん外観の面白さというのがあります。
 プダン(PUDONG/浦東地区)という地域はここ15年くらいで急に発達して現代的な建築が立ち並んでいるんですが、ビジュアル的にも非常に面白い、でもそれよりもさらに上海の持っているダイナミズム、ここ十数年で本当に劇的に変化を遂げた感覚、経済的にも物理的にも社会的にも15年、20年前とはまったく違う街になっている、そして今も変わり続けているということが、その街の持っている雰囲気というものが、この『CODE46』という、『近未来がどういう場所なのか?』と思いながら作ろうとしていた作品の世界として、なにかいいのではないかな、上海で撮影したらきっと楽しいだろう、なにか“正しい”ような感じがしたんですね。もちろん物語に直接影響するようなものではないんだけれども、感覚的に、ここがぴったりな気がしたんです」

近未来という設定の中で、いろいろと、外の世界と内の世界があったり、環境問題があったり、生命のコントロールの問題があったり、そういう風に設定したということは、今の社会がこういう風になってしまうということなのでしょうか?
「『CODE46』にある“外側と内側”という区分けなんかは、よく考えてみると、近未来に限らず、現代においても既に起きていることではないでしょうか? 内側の人間だけが守られていて、外側の人間は守られずに厳しい環境の中で苦しんでいるというのは……。前作『イン・ディス・ワールド』というのは、難民の少年たちが、パキスタンのキャンプからヨーロッパへ向かう旅を記録したものなんですが、彼らが住んでいる世界はまさに『CODE46』の外側にいることと同じなんですね。今回の『CODE46』の質感、肌触りというものは、かなり前作『イン・ディス・ワールド』から借りてきたものが実は多いんです。
 SF映画というのは、概して社会の現状を批判するような問題が描かれていて、観客の方はそれを観て『倫理的にどうなんだ?』『有り得るのか?』『いいんだろうか?』などと問いかけるようなカタチが、えてして多いような気がするんです。でも、現代に置き換えてみると、いわゆる社会というのはそんな風にはっきり白黒つけられませんよね。そういうグレイ・ゾーンを人は普通に受け入れて、普通に生活しているわけです。それが、SF映画の中で見せられると、皆さん何となく白黒ハッキリつけたがる傾向があると思う。そういった善悪をハッキリつけたがる傾向には、自分は複雑な思いを抱いています。ですから、この作品では近未来の世界を描いていますが、『これを皆さんどう思われますか?倫理的におかしくないですか?』と問いかけるような気持ちは一切ありません。むしろ今回やろうとしたことは、今の我々の世界とそう変わりないけれども、ちょっと違う世界を描くことことだったんですね。それ自体は非常に作っていて楽しかったんです。ですから映画の中で善悪のはっきりついた、つまり観客にそういったことを感じさせ考えさせるような、そういう映画が決して悪いとは思わないんですが、この作品はそういうものではありません」

ティム・ロビンスとサマンサ・モートンの役者としての魅力と、何か撮影中の印象に残ったエピソードなどがあれば、教えてください。

註※MSG:グルタミン酸ナトリウム→味の素など、旨味成分を人工的に作った化学調味料の主成分。60年代にアメリカで騒がれた「中華料理症候群」の原因とされ、一度に過剰摂取すると、眩暈や吐き気、倦怠感・のぼせ感が起こったり、ある研究レポートでは脳が破壊されるとも報告されていて、今でも健康信仰の厚いアメリカ人には特に恐れている。日頃摂取していないと過剰に反応がでることもあるらしい。もしかしてティム・ロビンスはそういうアレルギー体質なのかもしれない。
「魅力? 魅力ってどういうこと? 肉体的な魅力ってこと?(笑) 役者/俳優としての魅力? ふむ、役者さんというのはご自身の資質を役に、キャラクターにもってきてくれる、もたらしてくれる人だと自分では考えています。今回のウィリアムという役は、さっきちょっと話しましたけれども、求めていたのは“普通の男”、システム側の、システムを擁護する立場の人間です。彼はシアトルに住んでいるので、上海という全く住む世界が違うところへ、ある種“異邦人”として上海に降り立つんですね。彼は妻子を愛しているし、浮気も特にしない、非常にモラリスティック、倫理観の強い人間というキャラクターなんですが、ティム・ロビンス自身がこういう資質をある程度持ち合わせている、と僕は思いました。
 で、これは本当に偶然だったんですけれども、非常に面白かったのが、彼はとても身長が高いので、上海に彼が降り立つと、かなり目立つんですよね(笑)。ヴィジュアルとしても非常に面白かったんですが、ご自身もかなり気にされてたようです(笑)。でもそれが全く自分の普段の、いつもの感覚と違う場所に来てしまった“異邦人”である、ということをさらに強調していたという風に思うんですね。もちろん監督としては、彼が背が高いからキャスティングしたというわけではなかったんですが(笑)、これは映画では時々起きることですけれど、よかったと思ってます。
 またマリアの方は、もっと反逆児的な、物凄く瞬間、刹那を生きる女性なんですけれども、サマンサ・モートン自身がやはりそういう資質を持っている女優さんだと僕は思っています。
 そうそう、ティムはアメリカ人らしいというか、どうも凄く遠くで撮影しているって感覚が強かったみたいなんです。だから常にボディガードが側にいなければいけなかったし、食事のケータリングに関しても、僕らは平気でチャイニーズ・フードを食べてたんだけれど、ティムだけは何か箱に入った(ヘルシーな)食事を特別にとっていたんです。でも、そのちょっとした孤立感みたいなのも、役の為にはよかったんじゃないかと思う。また面白いエピソードということだったんですが、残念ながら僕は何についても面白いエピソードなんて話せないよ(と謙遜)。ああ、ティムが食事に気をつかっていたのはMSG※のせいですね。(中華料理を食べてしまうと)肌が荒れてしまうんじゃないかと非常におびえていました」

監督の作品はいつも光の使い方特徴があるように思います。映像的でとても印象的で美しいのですが、今回も二人のシーンが印象的で、暖かく包み込むような光の使い方をしていました。今回、仮想現実の世界を初めて描くにあたって(←「仮想現実」ではないと思うが)、画面設計と言うか描写的に何か意識されてつくられたところはありますか?
「もともと映画を撮影する時っていうのは、なるべくシンプルに、可能な限りシンプルな方法にしたいなと思っているんですね。ですから今回も手持ちカメラがメインで、それから照明に関しては、既存の照明、つまり既にそのロケーションにあるライティングを使います。それがもし足りなければ、その場の全てのライティングを最初にしてしまいます。その二つの方法でやりました。
 普通スタジオ(室内)で撮影する場合というのは、カメラ位置があって、このアングルで撮りますということで、それに合わせた照明をセッティングし、また違うアングルの時は違うセッティングをするものなんですが、そうではなくて今“全て”と言ったのは、そのロケーションの全て、どうアングルを変えても撮れるような照明を設置するということです。つまり、もともとあるランプなどの照明もしくは全ての位置を決めた照明の中であれば、カメラがどんなに動いても撮影することができる、一つのシークエンスでイチイチ照明のセッティングの為に止めたりせずに、気持ちを途切れさせることなく一つのシークエンスをいっぺんに撮ってしまうことができるからなんです。上海やドバイ、そしてインド、今回のロケーション全てのライティングは、この方法で撮りました。ですから照明はロケーションの段階である程度決まってしまうんですね。
 またカメラは今回は35mmで撮影してますが、ご存知のように今は編集段階でデジタルに、いくらでもフィルターをかけるとか色彩の調整ができる時代になっていますから、それで直したりといったことはしています。まぁ全体の雰囲気というのは、例えば砂漠はとても厳しい雰囲気を出したいな、と加工したり。街なんかも、これは映画の中では明解には説明されてはいませんけれども、環境破壊が進んでいるので街の中は人間を守る為に、人為的に何かを撒いているような感じで、紫っぽい空の色にしています。上海の空はもともと少し煙っているんですが、そこに少し紫の色を混ぜて、人工的な防護膜になっているというような演出を実はしています。
 話は元に戻ってしまうんですが、だからロケーションを見て『あ、ここで撮影したいな』と思った時には、だいたいこう作れるかな、とアングルや照明アイデアを考えているんですが、自分がロケーション撮影が好きなのは、やはり、その場でいろいろと変化をしながら、空模様なり環境なりいろいろなものが変化していく中で撮影する方が、自分の頭の中で考えてスタジオの中でカッチリと撮るよりも、もっとクリエイティヴに映画を作れるからではないかと思っています」

この作品を撮り終えられて、何か発見ですとか心境の変化などはありましたか?
今後の作品作りにつながるようなものがありましたら教えてください。
「うーん。大きなカタチでは特に発見ですとかどこに変化があるとかってことは無いと思います。でも、外国でロケーション撮影するのはやっぱり本当に楽しいなぁという気持ちは非常に強くなりました。ロンドンのスタジオに籠って、何も無い箱の中で、何かクリエイティヴなことをしようとするよりも、やっぱり外に飛び出していってモノを作る方がいいなぁという気持ちは強まりましたね。
 ひとつ言えることは、今回、近未来を舞台にしたことによって、どんな社会なんだろうな?と世界観を創り上げていったり、またその為に4ヶ国でロケに行って、非常にエキゾチックな場所で撮影したりすることができたんですけれども、実は物語自体は、言ってしまえば非常に閉鎖的なストーリーなんです。二人の人間が恋に落ちて、二回目に会った時には彼女の方が記憶を失っていて彼の方が動いている、三回目に会った時には反対になっている……という、ある意味で閉じられた物語なので、この映画を作った経験というのは、同じような閉鎖的な経験をしたって気持ちがしています。対して例えば前作『イン・ディス・ワールド』なんかは主人公達とその外部の人達、モノとの関係性を描こうとした外へ向かう作品だったんですけれども、今回の『CODE46』は、ひとりの人ともうひとりの間、そのスペースを描こうとしたわけなので、そういう閉鎖的なところへ落ち込んでゆくような気持ちのする映画だったような気もします。
 その後に手掛けた新作、『Nine Songs』ですが、これもラブストーリーなんです。ですからやはり二人の間にあるものを描くわけなんですが、この二人の出てくるシーンというのはほとんどベッドの中なんです(笑)。それが、やっぱり恋愛の核心の部分でもあるわけなので、そこがロンドンのベッドであろうが上海のベッドであろうが、変わりはないのではないか、と。そういう意味で『CODE46』に近いものがあると思います」

注記:監督の発言のところどころに「(笑)」を入れていますが、これはほとんど通訳の方が笑いながら訳してくれたところ。本人はほとんどクスリともしない感じ(ニヤリとはするが)だったのでした。クールというか英国人らしいと言うか…。

Text:梶浦秀麿 Photo:うたまる

[CODE46]
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2004年9月上旬シネセゾン渋谷、シネスイッチ銀座ほかにて公開
監督:マイケル・ウィンターボトム
出演:サマンサ・モートン、ティム・ロビンス、ジャンヌ・バリバール、オム・プリ、トーゴ・イガワ他

2003年/イギリス/1時間33分
配給:ギャガ・コミュニケーションズGシネマグループ
宣伝:ギャガGシネマ海、ミラクルヴォイス
公式サイト http://www.code46.net/

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