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『メランコリア』MELANCHOLIA

ラース・フォン・トリアーが描く憂鬱で美しい終末

またしても、やってくれた。そう思わされる作品だ。

姉の邸宅で結婚式を迎えるジャスティン(キルスティン・ダンスト)。美しく豪華な式場や集まってくれた多くの家族、友人などのなか、式は始まる。しかし、幸せに満ちたはずのその晴れやかな舞台とは裏腹に、彼女の心は次第に離れて虚無感に苛まれはじめる。婚約者のことも、仕事場の上司からの昇進の約束もなにもかもがどうでもよくなっていき、ひとりになろうと邸宅や外を彷徨うジャスティン。しかし、地球に接近しているという惑星メランコリアのことを思うと心が澄み渡るように軽くなってくる。一方、姉のクレア(シャルロット・ゲンズブール)は、その地球に衝突するかもしれないという惑星に次第に恐怖を抑えつけられなくなり始める。執拗にネットで調べものを始め、そばを通り過ぎるだけだと諭す夫に何度も不安を嘆き、落ち着きをなくし始める。

物語は、象徴的な数々のイメージが展開される序章からはじまり、ジャスティンとクレアの2部構成からなる。そして、響き渡るワーグナーの名曲「トリスタンとイゾルデ」の荘厳な調べ。

憂鬱という名の惑星が地球に接近するに従って、対照的な反応をみせるジャスティンとクレア。前作『アンチクライスト』ではシャルロット・ゲンズブールが2009年に、今作ではキルスティン・ダンストが2011年にカンヌ国際映画祭主演女優賞に輝いている。そのふたつの個性の競演がとても素晴らしい。惑星接近によって様々な現象を起こしはじめる地球は、見たことのないような圧倒的な美しさを湛え始め、ワーグナーの調べと調和し始める。しかし、クレア(やその家族や周囲の人々)が見せる振る舞いは、とても人間らしく、狼狽え、焦り、地球や音楽の美しさとは相容ない感じすらさせる。そのなか、唯一その美しさに見事に調和しはじめるジャスティンは、あたかも神話や古典のなかに登場するイコンのようだ。これまでに数多くの女性を描いてきたラース・フォン・トリアーだが、ジャスティンもまた新しい女性像となっている。観る人によっては、惑星の接近によって、クレアに同調するのかジャスティンに同調するのか分かれるところなのかもしれない。

主演のふたり以外にも、クレアの夫役のキーファー・サザンランドは、献身的で平凡な役割だがこれがクレアには次第に堪えてくる存在になるし、またフランソワ・オゾン監督作でもお馴染みのシャーロット・ランブリングが何とも言えないヒステリックさを抱えたジャスティンとクレアの母親役ギャビーを演じ、こちらも物語のもつ不安感を支えるひとつの不協和音分子として、また、ふたりの潜在的な心理に影響を与える要因として、しっかりとした存在感を示している。登場人物がそれぞれにすこしずつ共鳴し合うカタチで自然に配置されていて、出演者それぞれの個性が物語を作り上げている。

ラース・フォン・トリアー監督は近年うつ病を患っていたという。前作『アンチクライスト』もそうだったと言われるが、今作も監督が自身の病の療養ために作った作品だと言って差し支えないだろう。観客としては、世界の終末というこのような内容を目の当たりにしてしまうとどうしても現実の世界に照らし合わせてしまう感はあるが、監督にとってこの作品は現実の世界に対する終末感というよりも、これまで患ってきたうつ病の経験や監督自身がこれまでに映画で築いてきた様々な過酷な世界を、ある種、自浄する目的もあるのではないだろうか。今作のジャスティン、もしくは地球そのものが監督自身の投影なのかもしれない。そういう意味でひとつの転換期となりうる作品ともいえるし、ここまでやってしまった後、次にどんな作品が作れるのかという期待も募る。

多くの人がそれぞれにもつラース・フォン・トリアー作品へのイメージがあると思う。好意的にしろその逆にしろ、今作もまた、それぞれのイメージをしっかりと裏切り、もしくは、満たしてくれるだろう。ラース・フォン・トリアー作品にしか作りえない、終映後に訪れる独特の“あの感じ”。衝撃と暫く続く余韻…。わかってはいても、どうしても観たくなってしまうのは、やはり監督の持っている作品のチカラなのだと思う。


Reviewer : yuki takeuchi

ABOUT THIS FILM

2012年2月17日(金)TOHOシネマズ渋谷、TOHOシネマズみゆき座ほか 全国ロードショー

(2011年 / デンマーク、スウェーデン、フランス、ドイツ、イタリア合作 / 135分 / カラー / シネマスコープ / ドルビーデジタル)

監督: ラース・フォン・トリアー
出演: キルスティン・ダンスト、シャルロット・ゲンズブール、アレクサンダー・スカースガード、キーファー・サザーランド

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