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『ポエトリー アグネスの詩』poetry

片隅の世界に寄り添うイ・チャンドンにしか描けない傑作

『オアシス』や『シークレット・サンシャイン』といったしびれるような傑作を生み出し、前者はヴェネチア国際映画祭で監督賞、後者はカンヌ国際映画祭で主演女優賞、本作では再びカンヌ国際映画祭で脚本賞に輝き、つねに世界中から多くの賞賛を浴びているイ・チャンドン監督。また、数多くの映画監督からも支持を得ている。まだまだ、多くの人に知られているとは言えないかもしれないが、例えば本作に対しては、国内だけでも園子温、想田和弘、西川美和、行定勲、青山真治といった名だたる監督が賛辞をおくっているのは決して大袈裟なことではない。数々の受賞歴やこれら日本人監督への興味が少しでもあるのならば本作を(もちろん監督の過去の作品も含め)観てけっして間違いはないと思う。こういったことを入り口にしてでもいいから、是非観てほしいと思えるほどの作品だ。

遠く離れた釜山で働く娘のために中学生の孫息子を一人で育てる初老の女性ミジャ。街で見つけた詩の教室に通い、日常のなかで様々な風景を眺めては詩作に励んでいる。しかし、あるときアグネスという少女の自殺に孫息子が関わっていたことを知る。なんとか孫息子と向き合おうとするが全くうまくいかない。介護の仕事もけっして順調とはいえない。そんななかで調子が悪く病院に行くと初期のアルツハイマーだと診断されてしまう。せっかく探し始めた言葉も忘れてしまうのではないかという喪失感や様々なことがうまくいかない絶望や疎外感に満ちた厳しい現実に直面する。それでもミジャは、世界に向き合おうとアグネスの足跡を辿り、そして言葉を見つけ詩を作ろうとする。

イ・チャンドン監督の素晴らしさは、作品を重ねるごとにますますシンプルになるその演出にあるのだと思う。余計なものを省き、説明的な描写を限りなく削ぎ落し、そこにある光景をそのまま見つめているだけのような眼差しや距離感。物語の過酷さとは別に、どこにでもいるような(むしろ余り目立たない片隅の存在であるような)登場人物や舞台は、私たちのなんてことのない日常の延長線上にあるような平坦さすら感じさせるし、物語の展開も淡々としているようにすら感じる。本作のミジャは映画の主人公であるが、私たちの住みリアルな世界ではけっして主人公になることのないような存在だ。しかし、ミジャが通う詩の教室で先生が教える“世界を見ること/見つけること”という詩を書くときのアドバイスが表わすように、私たちはあえてその見過ごしてきた世界を観ること、そして見つけることで、シンプルで淡々としていた世界が溢れ出すような豊かな感情を持ちはじめることを知る。ミジャがそうであるように、私たちもイ・チャンドンの映画から自由に言葉を見つけることができる。そのとき、なんてことのないシーンがとても美しく輝く。

決してスクリーンに現われてこない、ミジャがなしえなかったことや、してしまったことの奥にある感情、映し出されることのない決断などを観客は自身の思いや想像で補おうとするだろう。だからこそ、心が震えるような生々しさ、息苦しさ、それに言いようのない(詩的な)美しさを感じることが出来る。それは、この映画が観客に強要したものではなく、映画が観客から導きだしたものだ。だから、生々しくて、息苦しくて、美しい。観客ひとりひとりのなかの中から出てくるものだから、それは人によって様々なかたちを持っているはずだ。なんて素晴らしい豊かさなのだろう。これこそイ・チャンドン監督の素晴しさ、巧みさだ。作品を重ねるごとにその手際はますますシンプルになるのに、作品の持つ豊かさは増すばかりだ。

本作に対して監督は、こう語っている。「詩が死にいく時代。(中略)暗澹たる未来が前にあるとき、詩を書くということにどういう意味があるのか。」「自分に問いかけることもでもある。映画が死にいく今、映画を撮るということにどういう意味があるのか、と。」
これは、先日『CUT』を取材した際に、アミール・ナデリ監督が語っていた言葉にも通じる。同時代性をもった、映画にも、そして私たちの日常にも当てはまるメッセージなのかもしれない。

監督は毎回キャスティングが素晴らしく、本作でのミジャを演じるユン・ジョンはほんとにすごい。序盤の世間から浮いたような掴みどころのない少し滑稽な存在から、終盤にかけての力強さや儚さ、そして美しさが共存する存在感に至る過程は圧巻だ。そして、鮮明に脳裏にこびりついて、いまでも忘れられないのは、ミジャが自宅前でバトミントンをするシーンや言葉を見つけた後のシークエンスなどだ。いくつものシーンが、本作が監督の最高傑作の名に相応しい、忘れられない奇跡的な素晴らしさを持っている。


Reviewer : yuki takeuchi

ABOUT THIS FILM

2012年2月11日 (土) より、銀座テアトルシネマ、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
(2010年 / 139 分 / 韓国 / 提供・配給:シグロ、キノアイ・ジャパン)


監督・脚本:イ・チャンドン

出演:ユン・ジョンヒ、イ・デビッド、アン・ネサン、キム・ヒラ、パク・ミョンシン

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