ビンセント・ギャロと『ブラウン・バニー』

Vincent Vito Galloは1962年4月11日にアメリカはニューヨーク州バッファローのイタリア系アメリカ人の家に生まれる。16歳の時に崩壊した家庭から逃げ出して、ニューヨークのアンダーグランドにはまり込み、反体制の姿勢に磨きを掛け、バスキアらとバンドを組んだり、仲間たちと展覧会を開いたりと、アーティストとしての才能が開花し始めた。

その後、訳あってバンドを辞め、ライブを兼ねてヨーロッパを旅行することで多くのアーティストや映画関係者と出会い、活動の基盤を移すきっかけになる。ショートフィルムを撮ったり、作曲家として活動してベルリン映画祭で最優秀オリジナル音楽賞を受賞したりと、ここでも多才ぶりを発揮。しかもバイクレーサーになってみたりもして、何事も自分がやらないと気の済まない質はこの頃からすでに現れていた。しかし、神経を病み、帰国することになる。

帰国後、ギャロは『グッドフェローズ』に端役で出演し映画俳優としてのキャリアをスタートさせる。『アリゾナ・ドリーム』では映画マニアの役で登場し鮮烈な印象を与え、その後『愛と精霊の家』『アンジェラ 』『太陽に抱かれて』『ネネットとボニ』『フューネラル』『バスキア』など様々な役柄を演じ、着実に活動を続けていく一方でカルバン・クラインやアナ・スイなどの広告モデルもこなし、続けていた音楽活動もレコード会社と契約することになったりと、さらに活動の場を広げることになる。
  97年に『気まぐれな狂気』で初主演をこなし、98年には日本でも大ヒットを飛ばした『バッファロー'66』で一躍スターダムにのし上がったギャロ。出演・監督・脚本・音楽をこなしたことで、マルチな才能をも世に知らしめることになる。その後も『GO!GO!L.A. 』『グッバイ・ラバー』『トリック・ベイビー』『コード』『ストランデッド』『ガーゴイル』などに出演してキャリアアップを図り、日本ではまだ未公開の作品にいくつか出た後、『バッファロー'66』以前より構想を練っていた『ブラウン・バニー』に辿り着くのだった。

失った恋人の思いを引きずりながらも、東海岸から次にサーキットがあるカリフォルニアまでワゴン車で移動するバイクレーサーを描いたこの映像詩的ロードムービーには彼の今までの生き様が詰め込まれている。やりたいことをすべてやったと語る彼の生い立ちを見ていくと『ブラウン・バニー』において監督・製作・脚本・撮影・美術・編集・出演をこなしてしまった背景がなんとなく理解できよう。

一昔前、一人で監督から俳優までこなせる映画業界のマルチな人物といえば、ジャッキー・チェンだった。あくまでも自分の中だけど。しかし、それも今は昔。尊敬すべき監督は今ではギャロになった。タランティーノ監督も尊敬するけど、やっぱりギャロだ。あ、でも、作風的にはタランティーノ監督の方が好きだったりもする。それはさておき、本作には監督の生き様というエッセンスが必要な気がする。だってギャロの「俺様」映画でもあるわけだし。だから、監督の生い立ちや過去の経歴を踏まえた上で、何を想い、何をやりたかったのかを感じて欲しい。

Text:うたまる(キノキノ


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