スケートボードは単なるスポーツではない。それはアートや音楽なども含めた1つのカルチャーとして成立しているからだ。こと音楽に関していえば、80年代にスケートロックという言葉が生まれるほど、両者の存在は密接に絡み合っている。本作でもジミ・ヘンドリックスやT-REX、バズコックスなどが彼らのアグレッシブなライディングシーンを煽るように鳴り響いている。そしてそれらは当時、実際に彼らが夢中になって聴いていたものがほとんどだった。彼らが音を選ぶ基準はジャンルうんぬんではなく、そこに攻撃的な意味でのロックがあるかどうか。エッジが効いたプールにスピードをつけて突っ込む彼らにとって、音楽もやはりエッジが効いたものが必要だったのだ。そして、音楽との相乗効果により彼らのライディングはより研ぎすまされていく。

Z-BOYSの連中が聴いていた音は前述した通りだが、彼らが変えてしまったスケートボードカルチャーはその後さらに過激さを増していき、スケーターたちを中心に多くの音楽シーンが生まれていった。まずなんといってもZ-BOYSのメンバー、ジム・ミュアー(のちにドッグタウン・スケートボードを設立)の実弟であるマイク・ミュアーが在籍したスイサイダル・テンデンシーズ。伝説のスケートロックバンドとして再度ブレイクしているが、当時のスケーターたちはスイサイダルが鳴らす新しくて過激な音に誰もが夢中になった。そしてここからスケート×ハードコアというカルチャーが形成されていく。それは一様にファッションにも現れ、ルーズなパンツにボロボロのスニーカーを履きバンダナを巻いたキッズたちがストリートに多く登場した。彼らはデッキ片手にライブハウスへ出向き、バンドのステッカーをデッキに貼りまくったり、バンドのロゴを自分でデッキにペイントしたりしていた。

そしてZ-BOYSがスケートボードにもたらした精神、スケートのクリエイティブな部分はさらに多くの音楽を生み出していくこととなる。ブラック・フラッグやデッド・ケネディーズ、マイナースレットなどカリフォルニア発のハードコアがスケーターの支持によりメジャーとなり、世界中に多くのフォロワーを生み出したことは言うまでもないが、彼らの登場はスケートボードをよりストリートカルチャーを代表する存在へと進化させていく。70年代にマルコムが巧妙な手口で起こしたイギリスのパンク革命の返答として、80年代のカリフォルニアではデッキを手にしたスケートロックがユースカルチャーを代表してストリートを席巻していったのだ。

やがてスケーターたちのスタイルが多様化していくと同時に、スケーターズサウンドという音楽ジャンルはさらに無意味なものへとなっていく。リアルストリートで滑っている彼らの耳には常に新しい音楽が耳に入ってくる。その中からスケーターたちは自分のライデイングをアゲてくれる過激な音というキーワードだけで、ロックからヒップホップまでさまざまなジャンルを雑多に取り込み、それらを自らの滑りとコラボレートさせた映像として世界へ発信しはじめたのだ。現在でも多くのスケートビデオで最新の音が鳴らされ、そこからアーティストの人気に火がつくことも多い。

Z-BOYSが作り出した過激でクリエイティブなスケートボードは、表現は違えど同じ匂いがする音楽を貪欲に取り込み、現在もそこから新しいカルチャーを生み出して続けている。そう、いつの時代もエッジの効いた滑りはエッジの効いた音楽を求めているのだ。

最後に、先日来日を果たしたトニー・アルバの、オリジナルZ-BOYSらしい音楽のエピソードを1つ。今作の上映を記念して、彼らのスケートを記録し続けたカメラマン、ウェイン・ミラーの写真展が原宿の某ウエアショップで行われた。レセプションも兼ねていたため多くの関係者が集い、店内には原宿のショップらしいオシャレな音楽が流れていたが、そんななか彼は自らCDを取り出しおもむろにT-REXをかけはじめた。そしてたまたま隣にいた僕に向かって一言。
「わかるかい?これがロックンロールというものだ」。
店内には20センチュリーボーイが爆音で鳴り響いていた。


Text:Kenichi Takemoto



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Photo:Glen Friedman


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