『ヒューマンネイチュア』におけるトリックスターといえば、誰もがリス・エヴァンス演じるパフだと答えるだろう。そしてそのパフを徹底的に教育し、いっぱしの人間に仕立て上げたのはティム・ロビンス演じるネイサンだ。しかし、そのパフを再び類人猿としての尊厳を持った生活に導いたのは、パトリシア・アークエット演じるライラであった。と、本来であればここでハッピーエンドにしてもいいものを、天才脚本家チャーリー・カウフマンは、一筋縄ではいかないひねりの利いた展開に持ち込んでゆく。そこでもう一度、この映画で描かれていた様々なディテイルの中で、何が重要なポイントだったかを再考してみたい。それはつまり、本当のところ、パフのハートを射止めていたのは一体誰であったのか、だ。そう、それは実は最初から、アメリカンガールのくせにフランス娘を気取る、ミランダ・オットー演じるガブリエルではなかったか。よくよく思い出すと、ガブリエルは何処の誰とも判らない類人猿と思われる男に愛犬の名前パフを与え、ネイサンでは到底気の回らないファッションについてはフレンチシックなスタイリングを施し(調教用の首輪がまでがまるでネックレスかアスコット・タイのように見えちゃうし)、時にはダンスの相手もしながら、気が付けばパフをきっちり彼女好みの男に仕立て上げているではないか。

しかし、ガブリエルはパフに気があるというそぶりをハッキリ見せるわけではないし、実際には誘惑しているわけでもない。ネイサンには黒のネグリジェを見せつけてあからさまに誘惑したが、それは将来を嘱望されている(と狙いをつけた)博士と結婚するという目的があるわけで、あくまで玉の輿に乗るためのアプローチであった。しかしパフの側からすれば、ガブリエルがネイサンを誘惑する様をまざまざと見せ付けられ、隣室で喘ぐ声を聞かされ、時にはアソコをちょっと握られたりして、なんだかわからないけどドキドキするし、ガマン出来ない! というわけでこの感覚ってなんだろう…と、必ずや自問自答していたに違いない。そして最後にはそのもやもやした(ストレートにいうとセックスしたい!)感覚が、パフの人生をひっくり返すことになるなんて。

ガブリエルというキャラクターは、相当に難しい役柄だ。フランス訛りでしゃべるアメリカ人を演じるのがオーストラリア人のミランダ・オットーであり、それを演出するのがフランス人のミシェル・ゴンドリーなのにアメリカ映画という、レトリックなのかギャグなのか判らない状況からしてかなりおかしなこと。何故ならば、フランス人はアメリカ人にこんな印象を与えているということを、フランス人監督が演出しているという矛盾(ミシェルはこれについて来日時に、自嘲的であった旨を嬉々として語っていた)を孕んでいるからだ。しかもそのガブリエルを演じるミランダ・オットーの芸達者ぶりがまたお見事。さぞかしこのキャスティングは苦労したのではないかと思われるが、ミランダが一躍メジャーになるきっかけを掴んだオーストラリア映画『ラブ・セレナーデ』(95)を観ると、なるほど納得のキャスティングといえるのだ。

1967年オーストラリア生まれのミランダは、メル・ギブソンやジュディ・デイヴィスも輩出した国立演劇学校(NIDA)出身で、92年のオーストラリア・フィルム・インスティテュート賞で“Daydream Believer”(91)で主演女優賞、“The Last Days Of Chez Nous”(92)で助演女優賞にダブルノミネートされるなど当初よりその演技力には定評があり、国内では既にスターだった。そして、オフビートなノリとバリー・ホワイトの同名のテーマ曲があいまって抜群に面白い『ラブ・セレナーデ』では、ちょっと頭は弱いけど、お茶目で純粋、エッチへの好奇心もあるいたいけな女の子を演じていて最高なのだ。これこそまさにガブリエルの下敷きとなるファニーさを持ったキャラクターであり、ミランダ十八番のウキウキ感溢れた芝居が展開されているのである。この作品がカンヌ映画祭でカメラ・ドールを獲ったことにより、日本はもとよりハリウッドでも知られるようになり、『シン・レッド・ライン』(98)や『ホワット・ライズ・ビニーズ』(2000)へ出演。さらには『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』(2002)と3作目『ロード・オブ・ザ・リング/The Return of the King』(2003)でエオウィン姫を演じ、着実に評価を高めているのだ。

一見脇役のようで、実はキッチリと物語の導線を引いているガブリエル。しかも、その可愛さゆえに憎めないのがまた笑えるところ。気が付くとネイサンの腹違い(というかどっちも養子なので戸籍以外はまったくの他人)の弟ウェインまで色目を使っていたり、とにかくあらゆる男を惑わせるチャーミングな女であることは間違いない。やはり一番の問題は、ガブリエルという存在なのだ。それを演じるミランダ独特の柔らかなしゃべりが、非フランス人ガブリエルのフレンチタッチを加速させ、この映画を絶妙にコケティッシュなものにしたのではないかと思うのだが、いかがだろうか。

TEXT:伊藤 高(プチグラパブリッシング)

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