伝説の映画プロデューサー、ロバート・エヴァンズの人生を通して見た、リアルな「20世紀後半ハリウッド映画ビジネス史」! その波乱万丈さに驚くことは絶対請け合う、この秋もっとも注目して欲しいドキュメンタリー映画(もっとも「これはドキュメンタリーではない」って監督の意見もあるんだけど)『くたばれ!ハリウッド』の登場である。

で、その監督お二人に会ってきました! 時は03年6月5日の夕方5時から、所は配給のアミューズ・ピクチャーズの会議室。……なんだけど、直前に「押してるので」と連絡があって、5時30分からということに。余裕こいてたらちょっと迷ってしまって、会社入り口の豪勢なミーティング・スペースに辿り着いたのは5時28分。「やべーっ」と汗を拭き拭き、編集の今福さんと出番を待つ。まだ押してるらしく、結局5時50分からの取材となったのだった。今回は記者会見でも単独インタヴューでもなくいわゆる媒体取材ってヤツ。「ぴあ」の村山章さん、「フリックス」の佐野晶さんと一緒の3誌合同取材だった。うひゃーっ。メジャーな紙媒体と比べたらウェブ・マガジンなんて……と思ったけど、お二人ともUNZIPを知ってくれてたみたいなのでちょい嬉しい。ま、配給さんもFUDGEというファッション雑誌(UNZIPが映画ページを担当してます)での掲載を希望しての采配のはずなので、ここはプロの映画ジャーナリスト面(笑)して平然と振る舞わなきゃ、とか思いつつ合同取材に挑んだのだった。取材は昨日から3日間の日程らしく、僕らの前にも既に何十組かが取材してるわけで、「同じことしゃべんのもヤだろーなぁ」と口火を切ったのは僕なんだけど、いかんせん英語力に問題があるので隔靴掻痒な観もあって、後半はぴあさん・フリックスさんにお任せして、通訳の方に助けられての30分って感じであった。いやぁでも愉しかった。というワケで、以下、その模様のレポートである。
左:ナネット・バースタイン/右:ブレット・モーゲン
(c)Junya Inagaki
Q[梶浦]:今日はこれが最後ですよね。

二人:「イエース!(と声をそろえる)」

Q[梶浦]:お疲れさまです。


でも明日もあるのよ。ため息がでるわ。昨日が一番辛かったけど」

Q[梶浦]:では、これまでの取材で一番多かった質問って何でした?(笑)


「アメリカと日本の媒体では質問の傾向は違うわね、日本で一番よく訊かれたのはエヴァンズの印象を、というもの」

Q[梶浦]:ははあ、では(何度も喋って)答えやすいとこから。その、エヴァンズの印象は?(笑)


「二人とも彼と寝たからね。というのは冗談だけど(笑)……まあ、魅了されたのよ。彼はセデュースseduce、誘惑する力、人を吸引する力というか、人を巻き込む力を持っている人なの(注:seduceには「人をそそのかす」とか「惑わす」「悪へと誘う」なんて悪い意味もある)。それが最初に受けた印象ね。今回、まずこのプロジェクトのためのお金=ファイナンスをつけて、彼に電話で話して了解を取り付けて、当時私達のベースはニューヨークだったんで、二人とも他の人に自宅を貸す手配もして『よし!』とロサンゼルスに居を移して、『さあこれから映画をつくるんだ』という気持ちで会いにいったら、実は彼は映画を撮りたくなかったってことがわかったの。『発作を患ったばかりだし、太陽の下には出られないは、セックスはできないは、スポーツもできないは…』と大変落ち込んでいて、エネルギーレヴェルも非常に低かったのよ。で、こっちは彼のドキュメンタリー映画を撮ろうと、当然それだけの準備と期待をして行ったのに、『映画をつくりたくない』って言われて、二人とももちろん呆然としちゃったワケ。でもなんと、一緒に過ごした数時間後には、彼のあまりの話術の巧みさに魅了されて、『ごめんなさい、こんな所まで押し掛けて本当にごめんなさい』と思わずこっちの方が謝ってしまっていたの。そして最終的には彼の気持ちを酌みつつ、つまり出演せずに彼の映画をつくるという方向で、製作が始まったのよ。結果的には映画の作り手としても非常に面白い、逆にそのハンデのせいで却っていい映画をつくることができたわ」

Q[梶浦]:それって脚本家のパム・ブレイディさんと一緒にやるはずだった企画としては、いったん潰れたってことなんですか?


「その通りよ。たぶんご存知だと思うけど、最初はパムと彼の家に住み込んで一緒に脚本を練るという段取りだったの。彼女、パム・ブレイディは『サウスパーク』の脚本で有名なコメディの作家で、ボブ=ロバート・エヴァンズがいかにキャリアを再構築するかをドキュメンタリーで撮ろうと思っていて、ちょっと『サンセット大通り』みたいなストーリーになるはずだったの。でも家を一歩もでない(グロリア・スワンソン演じる)ノーマ・デズモンドみたいなイメージで、自分を捉えられたくなかったんだわ、要するに。それでその企画は潰れてしまったんだけど、最終的に合意してもらったのはオフカメラで彼を題材にしたものを撮る、ということ。ま、フィルム・メーカーにとって、それは最初ハンデだったんだけれど、最終的によかったのは、限界でできることを模索しているうちに、写真を使ったフォト・アニメーションだとか、映画のスタイルとしてもアメリカでも非常に新しいタイプの作品を生むことができたってことね。伝説である彼を、ノンフィクションの形で描いた、非常にオリジナルでユニークな作品をつくることができたと思うわ」

Q:写真をコラージュしてフォト・アニメーションで展開するというアイディアはどこから?


「今回、とにかく写真素材を多用して作らなければいけないってことは最初からわかっていて、しかもこれは劇場公開用として企画が決まっていた。だからそれだけ観客を引き付けられる力をもった作品でなきゃいけないというのがあったんだ。それがハードルとしてあったので、じゃあなんとか写真--2Dであるイメージを、3Dにする方法はないかな?と考えた。その当時、ちょうどアメリカで放映されていた証券会社のCMで、マーティン・ルーサー・キングが『アイ・ハド・ア・ドリーム……』という有名なスピーチをした時の写真を使ったコマーシャルがあって、カメラが360度、彼のまわりを回るようなものだったんだ。だから『なにかきっと方法はあるんだろうな』と思っていて。『マトリックス』でもそういったカメラが回り込んで後ろが見えたりする技術が使われていたし、だからきっと可能だろうと。で、コマーシャルを数多く手掛けている編集者で、特に視覚効果について知り尽くしているっていう日本人(日系人?)のジュン・ディアズを起用して、相談したところ、“アフターエフェクト”というソフトウェアを使えばそれができるということがわかったんだ。この“アフターエフェクト”はウェブ、インターネットとかコマーシャルの世界では多用されているけれど、アメリカでは知る限り、特に長篇のドキュメンタリー映画では一度も使われたことがないソフトだった。これを使うことによって独特の映画的な映像言語を、自分達で作ることができたんだよ。実際に作業的にはどういうことをしたかというと、写真のイメージ、例えば人物だったら人物だけを切り取って、それをまた背景と合わせる。そうやってイメージを重ねることによって、奥行きが出て3D化ができる。この技術を使うことによって3つのことを成し遂げることができたんだ。まずひとつは、動かないスチルの静止画を動画に変えること、2つ目は観客が観ても非常にキネティックなもの、動的な作品として見られるようにすること、それから3つ目、これは非常に重要なんだけれども、すごく歪んだ感じの映像を作り上げることができたこと--それによって観客に『あなた方が観ているのはリアルな現実ではなく、彼の目を通した非常に主観的な、歪んでいるかも知れない事実なんだよ』ということを伝えることができたと思うんだ」

Q:それはとても伝わりました。


「アリガト(笑)」

Q:この映画はドキュメンタリーらしくな……。


「この映画はドキュメンタリーじゃない(This is not a documentary)」

Q:ドキュメンタリー映画ではない?


「そう。例えばちょうどエヴァンスの邸宅の部分、この映画のために唯一、新たに撮影した彼の家のシーンなんだけど、その撮影監督はジョン・ベイリーだ。彼はご存知のように普段フィクションしか撮っていない(主な撮影作品は『普通の人々』『アメリカン・ジゴロ』『再会の時』『偶然の旅行者』『ザ・シークレット・エージェント』『恋愛小説家』『アニバーサリーの夜に』『ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密』『10日間で男を上手にフル方法』など。『チャイナ・ムーン』など監督作もある)。また今回のサウンド・デザイン監修者(スーパーバイザー)のクロード・ルテシエも、テレンス・マリック監督の『シン・レッド・ライン』や、最近なら『プロフェシー』や『ブルー・クラッシュ』といった作品に参加していて、やっぱりドキュメンタリーを手掛けていないし、作曲家(『O[オー]』などのジェフ・ダナ)もそう。つまり普段全然ドキュメンタリーをやってない人ばかりが、今回スタッフに名を列ねているんだ。そういう面からも今回の作品というのは全然ドキュメンタリーではないし、言うならば“ドキュメンタリーはどういうものであるべきか?”ってアンチテーゼ的な作品だと言える。僕ら二人とも大好きな映像作家で、エロール・モリスという『シン・ブルー・ラインThe Thin Blue Line』や『死神博士の栄光と没落Mr. Death: the rise and fall of Fred A. Leuchter, Jr.』といった作品を撮ってるドキュメンタリー作家がいるんだけど、彼を非常に参考にしたところがある。フィクションとノンフィクションの境界上で撮っているような人なんだけど。だから今回の映画で自分達がチャレンジしていることの一つは、『ドキュメンタリーっていったい何なの?』ってことで、これは映画に関するジャーナリストである皆さんにも、また皆さんがお書きになるものを読む読者の皆さんにも、是非考えてもらいたい。『ドキュメンタリーってのは一体何なのか?』。この映画を観たことによって、そういうことを考えてもらえればいいな、と思っているんだ」


「ドキュメンタリー作品の多くは、私達の最初の作品である『On the Ropes』も含めて、客観的であるということを凄く強調する、客観のふりをしているの。実際にドキュメンタリーっていうのは作業的にはインタヴューとか取材して、でもそのうちの20%くらいを編集して使うわけ。だから編集の段階で、監督の目を通したリアリティを客観的なふりして作っているという点では、本当は純粋に客観的でもなくなってるのよね。だからそこらへんの自分達の想いを今回は伝えたかったの。この作品に関しては最初から明解に『これは全然、完全に主観的な作品なんですよ』とアタマっから伝えている。全く嘘偽りなく、ある人、本当にある一人の、つまりロバート・エヴァンズの視点で描かれている話なんだと、最初っから宣言してるの。だからそういったノンフィクションといったものがどういうものなのかを考えるいい機会になったし、また観る人にとってもそうなり得るかもしれないということは、フィルム・メーカーとしては凄くエキサイティングなことなのよ」


「ドキュメンタリーを自分が観たい場合、僕はやっぱりTVをつける。ニュース番組だとかを観ればいいんだ。自分にとって映画というのは聖域だし、映画館も聖域なんだ。そして自分達が作りたいのはMovie、映画だったんだよ。で、『ボウリング・フォー・コロンバイン』にはスターがいるわけだ、マイケル・ムーアという役者が(笑)--あんな太ったムービー・スターは珍しいけどね。もちろん映画の世界では、ノンフィクションというジャンルの映画も絶対に存在するべきだし、劇場でも観られるべきだと思うんだけれども、実際に観客がお金を払って観ようと思うものはやはり限定されしまう。例えばジャック・ペランの『WATARIDORI』とか『ミクロコスモス』とか…‥」


「あと『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ(略してTruth or Dare)』とか」


「うーん(と苦い顔)。まあ、そういったドキュメンタリー作品には、観ていて必ずマジックがある。魅力的なものがあるんだ。だからこの作品も同じようにエンターティンメントとして観客の方を魅了するマジックがあればいいなぁと思っている」

Q:映画を観させていただいて、凄くエヴァンズに興味を持ったんですけれど。彼は一方では『ゴッドファーザー』をとてもアーティスティックな方向に持って行こうとする、そのためにこだわって編集に凄く時間をかけたり……。その一方で『チャイナタウン』の脚本はよくわかんなかったけど映画化しちゃったとか言ってますね……。彼はアーティストなのか、それともビジネスマンなのか? そのへんがわからないところが魅力なんだけれども、お二人としてはどう捉えていらっしゃいますか?


「ボブはビジネスマンとしては最悪(アブソリュート・ワースト)だ。彼に長けているのは才能を見つけること。『チャイナタウン』の場合、ロマン・ポランスキーという才能、(脚本の)ロバート・タウンという才能、それからジャック・ニコルソンという才能を理解して、そういった才能を一緒にして企画を立ち上げるって才能があった。だけど反対にお金を貯めるとかお金を儲けるといったことに関しては、ご本人も言ってるように全然向いてなくて……とにかく才能を見つけることに長けてるんだ。金を儲ける才能はない」


「『チャイナタウン』の時はあんなに成功するとは思わなくて、自分の権利のパーセンテージを他の人に売っちゃったのよ」


「それは『ブラックサンデー』じゃなかった? まあいいけど」


「そういった意味で全然、金銭感覚というか、そういう勘はないの。でもマーケティングに関しては本当に冴えていて、『チャイナタウン』の場合も『ゴッドファーザー』の場合も、頑固なまでに主張して、スタジオに対しても公開日などについて頑として譲らなかったのよね」


「彼の持っているもので、アーティストとしては最高に素敵な才能なんだけれど、ビジネスマンとしては絶対に要らない才能というのがあって、それは“本能”、なんだよね。だから時々うまくいくし、時によってはうまくいかない。彼は本当に本能によって自分でいろいろ決断してきたんだ。そのいい例(?)が『ポパイ』だ。1981年、『スーパーマン』がヒットしたばかりという状況で、『さあフランチャイズの可能性のある映画を作るんだ、うまくいけば続編さらに続編と作っていけるぞ』って、そういう可能性のある、ヒットし得る作品企画として『ポパイ』があった。『さぁ監督は誰にしようか?』と周囲を見渡せば、リチャード・ドナーがいるわリチャード・フライシャーがいるわ、スティーブン・スピルバーグがいるわ、もしかしたらジョージ・ルーカスもいいかもしれない、誰でも選べた。でも彼はそこでアルトマンを起用してしまうんだよ(爆笑)。アルトマンは当時もう5年ほどヒットが一切なく、ハリウッドでも非常に変わり者として有名だった。そのアルトマンを起用してしまった。『一体何でそんなことをしたのか?』って僕が訊いたら『期待を裏切るような、予測を裏切るような何かが生まれるんじゃないかと思って起用したんだ』と答えてくれた。それはきっと現代のプロデューサーだったら“絶対に”しないことだと思う。だけど、やっぱり彼は本当にハートで、本能で映画を判断して人を起用しているんだ。それに関しては僕は彼にとても愛情を感じているよ」

Q:なるほど、彼はクリエーターですね。


「ああその通り」


彼は“グッド”アイデア・マンなのよ」

Q:彼の自伝を読んだらあまりにもエピソードが多くて、しかもどれもこれもエキサイティングで面白いので、それを90分で収めるのって大変だったと思うんです。エピソードはどんな基準で選んだのですか?


「確かに原作は素晴らしいエピソードの連続だったわ。でも映画として観た時に、ストーリーの起承転結を考えれば、エピソードが連続しているだけでは成り立たないのよ。だからクリエイティヴな面から言うと、彼の栄枯盛衰---成功した時代とうまくいかなかった時代を原作に即して描こうと思うと、うまくいかない。例えばたくさんの妻がいたとか、王女様と寝たとか、そういう愉しかったり面白いエピソードはいっぱいあるんだけれども、あんまりストーリー的には意味がない、という部分でもあった。だから流れるようにエピソードを選んでいくことが必要だったわ。それからビジュアル素材がないもの、つまり写真などが残っていないもの、視覚的に表現できないエピソードは、残念ながら省かざるを得なかった。ただ、単に時間が余っているからそこに何らかの映像を、という風にはしたくなかったの」

Q:使いたかったんだけど入れることができなかったエピソードはありますか?


「幸運なことに、使いたくて使えなかったものはなかったわ。私は映画としてエキサイティングなものにしたかったし、自分が映画館で映画を観ている時も、つまんなくなると、すごくイライラしてくるのよ。だから『マトリックス・リローデッド』も、ローレンス・フィッシュバーン演じるモーフィアスが延々演説するシーンとかは寝ちゃったしね(笑)」


「僕は実は『さよならコロンバス』を入れたかったんだ。というのはボブが初めてアリ・マッグローにこだわり始めたのがこの映画だったから、それは入れたかったんだけど」


「それはそうかもね」


「それまで女優としてのアリの才能を全く信じてなかったのが、だんだん心が動いていったという作品だったので……」

Q:最初、凄く嫌ってますよね、彼女のことを。


「ええ、とても。まさにロマコメの王道よね、嫌ってる二人がいつしか恋に落ちるって(笑)」

Q:今回凄い貴重なフッテージ、いろんな映像が出てくるんですが、権利関係が凄く大変だったんじゃないかと思うんです。本の中でも悪友であるウォーレン・ビーティがエヴァンズ製作の映画には一本も出なかったとありますが、今回の映画で協力を得られなかった有名人はいましたか? 誰が、何故協力してくれなかったのかっていうのを教えてもらえますか。


「ウォーレン・ビーティはちょっとだけだけど出てるよ、数秒間だけれど。ストーリーの流れ的に必要性が低かったのでそこしか出てこないけどね」


「ああ一人だけいるわ。他の人は全員快諾してくれたけど、一人だけ許可を出してくれなかったのは『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』(71)のバド・コート(他に『エレクトリック・ドリーム』『ドグマ』に出演)ね。本当に彼が出ている所で必要だったのは尺としては2秒くらいだったんだけど、ボブに電話してもらったら、もうかなりお年寄りなんだけど、ボブに交換条件として、パラマウントに『ハロルド&モード2』を立ち上げるよう頼んでくれ、と。少年と老婆のロマンスだった『ハロルドとモード』とは逆の、自分が若い女性と恋に落ちるって内容の企画を立ち上げてくれたらやるよ、だって。それでボブは『二度と彼に電話をさせるな』って。『あれはひどい男だ』とジョークじゃなくシリアスに言ったので、私達も『じゃあ全然いいわよ』って。というわけで出演が叶わなかったわけ」

Q:ドキュメンタリーの共同監督って珍しいと思うのですが、役割分担はどんな感じだったんですか?



「もともと共同で撮った『On the Ropes』に関しては、低予算だったんでスタッフを雇えず、ブレットが撮影を、私が音声と編集を担当したの。この作品がアカデミー・ノミネートを受けて注目されたんで、『くたばれ!ハリウッド』の製作の話は二人抱き合わせにしてオファーがあったってわけ。『くたばれ!』に関しては、明確な役割分担はないわ。でもブレットは大きな絵作りで派手でスタイリッシュな演出が得意だし、私はストーリーに重きを置いて女性的な(笑)、繊細な絵作りをするので、『くたばれ!ハリウッド』はその両方が合わさって良い作品になったと思うわ」
と、ここで時間切れ。撮影タイムにもいろいろ裏話っぽいことが聞けたんだけど、内緒みたいなのでひとまずおしまい。3日間の来日のエピソードとしては、まず初日に六本木ヒルズに行って、この映画が上映されるヴァージンを見学(「すごくかっこいい」と喜んでいたとか)。築地市場にも行ったらしい。んでブレットの方は渋谷の百貨店で生まれたばかりの子供のために、服や小物を大量に買ったりしてたが、ほぼオフのないままに帰ったようだ。ナネットは土日まで延泊して観光を楽しんだ様子。

ああっ、この映画の邦題についての感想を聞き忘れた! 原題はロバート・エヴァンズの自伝の通り『The Kid Stays In the Picture(その坊やを映画に残せ)』だが、邦訳書に合わせて『くたばれ!ハリウッド』ってなったことについては、ぜひ両監督に感想を聞きたかったんだけど……と帰りのエレベーターで話してたら、ぴあの村山章さんが「そういや『デッドコースター』のデビッド・エリス監督は、原題の『ファイナル・デスティネーション2』よりいいって面白がってたよ」とか教えてくれたのだった。確かにインパクトはあるもんなあ、どっちも。でも別にロバート・エヴァンズがハリウッドに対して「くたばれ!」って気分ではないことは一応前もって注記しておくべきかもしれない。邦題からつい思い浮かべちゃうようなハリウッド批判の映画ではなくて、ある意味で彼こそその「ハリウッド」を体現する(善かれ悪しかれ)人物であることを描いた映画であることは確かだからね。……とかいう余談もこのへんで終わろう。では映画をお楽しみに。

取材・文:梶浦秀麿
→ブレット・モーゲン & ナネット・バースタイン監督プロフィール
『くたばれ!ハリウッド』
2003年9月20日より、ヴァージンシネマズ六本木ヒルズほかにて公開
監督・脚本:ブレット・モーゲン & ナネット・バースタイン/原作:ロバート・エヴァンズ
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