「華氏911」 2004年8月21日恵比寿ガーデンシネマほかにて全国拡大ロードショー 監督・脚本:マイケル・ムーア
ブッシュ大統領の無能さ、さらにSeptember11に端を発した一連の戦争の背後にうごめく陰謀を痛切に批判したドキュメンタリー映画『華氏9/11』を取り巻く熱気は、封切から1ヶ月以上たった今でも沈静化の機運は見られない。

大統領選を11月に控えた現在、LAはもちろんのこと、アメリカ全土はまさに選挙の話題一色といった様相を呈している。LAっ子たちがこよなく愛するバーベキューパーティの場でも、肉の焼け具合を確かめながら「で、君はどっちに投票するつもりだい?」などという会話が交わされるのが常だ。さらにLAは、アメリカでも有数の民主党支持率の高い地域。7月29日に民主党のケリーが正式に大統領候補となったことも追い風になってか、現在でも『華氏9/11』が上映されている映画館には、多くの観客がつめかけている。

わたしは、封切直後の6月後半、そしてデモクラティック・ナショナルコンベンションが開催された直後の8月上旬と、この映画を観るため2つの映画館に足を運んだ。いずれも場所は、ハリウッド中心街から10kmほど離れたウェストウッドの映画館。この辺りは、半径1km以内に10館前後の映画館が立ち並ぶほどに映画の需要が高い地域。さらに、全米でも有数の名門校、UCLAの大学街であるため、政治に対する関心や社会的活動も盛んである。

上記のような理由もあってか「表現の自由」に対して寛大であるはずのウェストウッドではあるが、『華氏9/11』は、いずれも中心街からやや離れた、比較的こぢんまりとした映画館で上映されていた。それにも関わらず、公開初日には、狭い街路地を覆い埋め尽くすようにどの時間にも長蛇の列ができ、その現象は週末を挟んで4〜5日間続いた。だが客層は、街中で最も大きな映画館で上映され、やはり常に観客が列を成していた『スパイダーマン2』と比べたとき、あきらかに大きな違いが見受けられた。その大半が、30代後半から50代と思われる年配者だったのだ。

開場されてからの雰囲気も、やはり他の人気作品とは少々異なる。普段なら、良い席をとるため我先にと若い男の子たちが客席へ駆けていくが(男性が席を獲得し、後から女の子はゆっくり座るというのが慣わしのようだ)、ここではそんな姿はほとんど見られない。ショーウィンドーに展示されたパネルにじっくり目を通し、静々と席に足を運ぶ。

そのように品行方正な観客たちだが、いざ映画が始まると様子が一変! ブッシュのマヌケっぷりが強調されるシーンでは、頭のてっぺんから放った甲高い笑い声が館内の壁をビリビリ震わせ、野太い声で「dope(とんま)!!」の野次が飛ぶ。みな、大統領の優柔不断さや不可解な行動に腹を立てるというよりは、心の底から“コメディー”として楽しんでいる様子だ。最近、あるスポーツ番組に監督のマイケル・ムーアがゲストとして登場したが、その際に彼自身が「ブッシュは壮大なコメディーだということに気がついた」と発言していた。だがその“コメディー”は、ムーアが周到に用意した仕掛けだったようだ。

この映画は、大きく分けて2つのパートで構成されている。前半部分は、ブッシュ家とサウジ・アラビアの関係究明に力が入れられているが、そこでは、カリカチュアライズされたブッシュの愚鈍さが観客の笑いを次々と誘っていた。

先のSeptember11がアメリカを狙ったテロ行為とはいえ、LAは広大なアメリカ大陸を横断しNYの対極に位置する。同じ国の中の出来事も、どこか対岸の火事的な感覚があるのかもしれない。しかもこの前半パートは、映像の大半がCNNなどのニュース映像を流用したものなので、画像があまりクリアではない。この不鮮明さが、文字通りスクリーンと客席との間に虚構の皮膜を張り、図らずもリアリティを希釈する役目を果たしていたようだ。だからこそ館内も、ドキュメンタリーというよりむしろカトゥーンを観ているような雰囲気に包まれていた。

そのことが、戦場の映像を多く含んだ後半への大きな布石となる。前半とは打って変わり、イラク戦争の実状を映し出した後半パートの映像は鮮やかであり、その鮮やかさでもって戦場のリアルを抉り取る。家を失い、子を失い、隣人を失い慟哭するイラク住民。イラクで命を落とし、住民から無残な仕打ちを受けるアメリカ兵。それらの映像が画面に映し出されたとき、コメディーであったはずの前半パートは悲劇の元凶へと姿を変える。ただでさえ陰惨極まりない戦場の映像は前半パートとの対比でさらに生々しさを増し、館内の重苦しい沈黙に時として嗚咽が混じる。客席の空気を見事に支配したのは、映像クリエイターとしてのムーアの力量だったと言えるかもしれない。

約2時間に渡る“ドキュメンタリー映画”が終了したとき、観客の大半は立ち上がり、拍手と口笛でその功績を称えた。テロップが終わりスクリーンに幕が下りるまで、ほとんど誰も開場から出て行こうとしなかったのが印象的だった。

8月に入って観に行った2回目は、客席の埋まり具合が半分程度ではあったが、観客のリアクションや館内の雰囲気に大きな差は見られなかった。ただ唯一、イラクにいるアメリカ兵士が民主党を支援する発言をした際、客席のそこかしこから拍手が沸き起こった点を除けば……だ。

この映画に対し「ブッシュに都合の悪いシーンばかりをつなげたアジテーション映像」という批判は当然ある。また、「ムーア自身が一連の事件に深く関わる別組織と癒着しており、その組織から疑惑の目をそむけるために意図的に批判の標的をブッシュとサウジ・アラビアに向けさせた」という過激な発言も一部で聞かれる。だが、例えそれらの批判が正鵠を得ていたとしても、映像の持つ説得力が人々の心の深層に訴えかける効力は、理屈では割り切れないものがあるはずだ。

共和党の広報担当者は、この映画の世論や選挙戦への影響力について「(影響は)気にならないことはない。映画をどう受け止めるかは見た人次第だが、あれが真実だと思う人は、わずかだろう。もっと面白い作り話として、我々は(アニメ映画の)『シュレック2』を推薦するね」(asahi.comより)と答えたという。

8月11日現在、LA内で『シュレック2』を上映している映画館は2件。『華氏9/11』は、8館である。

Text:内田暁(LA在住)

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『華氏911』/Fahrenheit 911
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監督:マイケル・ムーア