その『Rushmore』は、奇しくも邦題が『天才マックスの世界』となったんだけど、新作『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』は元“天才ファミリー”の話だ。ニューヨーク東375丁目のテネンバウム家の家族をめぐるお話なのである。
やっぱり律儀に「序章」「登場人物表」「第1章」〜「第8章」「終章」と章題が挿入されるのに笑ってしまう。オープニングは本屋に面出しして置かれ、図書館でも貸し出しが多そうってな一冊の本、『テネンバウム家の人々(THE ROYALTENENBAUMS)』がアップになる。つまり映画自体が一冊の本って体裁なのだ。『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』という題名は、人名ロイヤル・テネンバウム氏(ジーン・ハックマン)に“ザ”と“ズ”がついて、ロイヤル・テネンバウムという人物「の(なんたら)」というニュアンスになる。よく店の名とかにあるんだけど、ここは「---の一家」とか「---の人生」とか「---の子供たち」とか「---の物語」とか、そういう含みだと思う。字幕では『テネンバウム家の人々』と邦訳されていた。で、この本=映画は、家長にして“元”超有名弁護士、ロイヤル・テネンバウム氏の35歳から68歳までのライフ・ストーリーを、ナレーター(アレック・ボールドウィン)が饒舌に語りつつ進行していく……。

「登場人物表」のパートでテネンバウム家の人々が紹介される。ロイヤルと22年間別居中の妻エセル(アンジェリカ・ヒューストン)は3人の天才児を育てた“元”賢母で、現在は考古学者。会計士のヘンリー(ダニー・グローバー)が恋人である。長女マーゴ(グウィネス・パルトロウ)は養女だが、12歳で脚本家デビューを果たし、早熟の天才劇作家として脚光を浴びた“元”天才少女(ラコステがお気に入り)。神経学者のラレイ(ビル・マーレー)という夫がいるが、二人の夫婦生活は謎だらけ。長男チャス(ベン・スティラー)は10代前半で不動産業に乗り出した“元”天才ビジネスマンだったが、妻を飛行機事故で亡くし、ウージとアリの二人の息子とビーグル犬のバックレーを男手一つで育てて1年、今や偏執的に避難訓練ばかりに励む変人となりはてた(親子揃ってアディダス・ファッション)。そして幼少時から多趣味な次男リッチー(ルーク・ウィルソン)は“元”天才テニス・プレイヤーだったのだが突然引退して世界を放浪、秘かな姉マーゴへの愛に苦しむ、ハヤブサをペットにする奇人ってのが現在の姿である(フィラを愛好)。隣家に住む彼の長年の友人イーライ(オーウェン・ウィルソン)もマーゴに気があるとは知らないようだ。

さて。過去の栄光を背負いつつ現在はなんとなくショボイってな感じの一族が、ロイヤルの画策で久々に集結、さまざまな確執やらが、ぎこちないドタバタした語り口で展開されてゆくのだが、詳しくは述べない。ただ、この映画は「本」と「墓参り」に執拗にこだわってみせることだけは言っておこう。映画自体が一冊の本なワケだし、出てくる書名だけ挙げても『天才家族』『カスター老』『カザワ環礁住民の奇妙な習俗』『ダドリー症候群(仮)』『山猫ぶり』『森の中のロビンソン』『ダドリーの世界』……さらにマーゴの戯曲集やロイヤルの百科事典まである。なんか他人の本棚を覗くようなヘンテコな気分。まさに本だらけの映画なのだ。そして家族の再生にまず墓参り、さらにロイヤルがチャズの息子達を外へ誘う文句も「お祖母ちゃんの墓参りに行こう」だし、ラストまでこのこだわりは貫かれている。このミニマムな2つのこだわりが、映画を読み解くヒントであることに注意すべし。あと、各登場人物がまんべんなく細部を描写されるのだけど、提示されたデータを整理してみると、一番情報量が多いのはマーゴであることも留意すべきかもしれない。

そう。前作同様、この映画もやはり細部に淫していて、とにかくムダな「尽くし」系ギミックが多過ぎるくらい手を変え品を変え繰り広げられる。文字テロップ説明ネタ、ファッションのくどい統一感、しつこい設定描写、妙に意味ありげな画面構成(マスコミいわく「スタイリッシュな映像」なんだけど、ま、例えばP・グリーナウェイ『ZOO』の正面左右対称構図ならテーマに関わるものだったし、小津映画の正面向き会話にも特殊な意図があったんだけど、ウェス・アンダーソン監督の場合の正面向き画面ってのは絵画的デザイン的な趣味性は感じるが、それ以上の意味がないような気がする)……。はたまた意味ありげなトッピな伏線というか脚本を用意して、しかし全体的にショボイ印象にまとめる(言いたいことは地味なミニマムな感じらしいと思わせる)。そんな映画なので、ヘンテコな感動が発生してしまうのだ。

2作品に共通するのは、才能がある(らしい)のに空回りする人々の映画だってこと。実際、この映画の子供達だって天才って言うほど天才じゃない。というか天才だってタダの人だってことが、きっちり描かれていると言うべきか。マーゴの不条理劇はフロックかもしれない、要するにトンガッたヒトには受けるかもしれんが……って感じだし(ロイヤル氏は貶すしね)、またチャスが事業を始めるキッカケとなった発明=ダルメシアンマウスってのも実際問題、一財産稼げるほど売れるか?とか思ってしまうし。要は若くして有名人になった人の、その後の凋落感ってのが先にあって、何で有名になったかという具体例の選択が微妙、絶妙なハズし技になってるのだ。肝心なのは、何というか、ただの人、であることに耐えられない人々の物語を描くこと、なのだ。

余談。だいたい、そういう魂胆が見えないように映画的な仕掛けが過剰になってるので、うっかりすると別のところばかり観てしまうことになるってのが、この映画の厄介なところ。そういう意味では難しい映画でもあるのだ。実際、プログラムの元になるプレス資料の「あらすじ」でさえ、かなり恥ずかしい間違いをしでかしている。

例えば「チャスは自室で食事を取るほど時間を惜しんではワークセンターに通った。経済誌を読み漁った」ってのは映画に出てきたテロップを解釈し損なっている。あれは自宅のチャスのフロアに、ワークセンターや書庫兼寝室や執務室が作ってあるって表現なのだ。また「懸賞金5万ドルを手にし、天才少女と謳われ、その後も『戯曲図書館』『舞台模型』『暗室』など、彼女(マーゴ)いわく『絶望的な不条理劇』を連作した」なんてのも噴飯もの。これも自宅の彼女のフロアについてのテロップを作品名と勘違いしている。彼女個人の戯曲図書室(本棚にはS・ベケット、H・ピンター、B・ショウ、チェーホフ、T・ウィリアムズ、イプセンなどのラベルが読める)、舞台美術を計画するときに作るミニチュア模型の制作風景に「舞台模型」とテロップが出て、その他、写真も趣味で、自ら現像もしているという描写に「暗室」というテロップが出るのだ。確かにリッチーが読んでた彼女の処女戯曲集の表紙から、初期3作品が収録されているのは確認できるのだけど、いくらなんでもこんなタイトルであるワケがない、恥ずかしい間違いである。またマーゴが「実の父親を訪ねてある種族の薪割りの儀に出席した……」とあるのもちょっと酷い。実際はインディアナ州の田舎に子沢山の農家が描写され、その庭先で14歳のマーゴが薪割りを手伝うってな描写なんだけど、これは無いんじゃないか? ……要するに、やっぱり難しい映画なのだ。プレス資料を書くような映画のクロウトでさえ解釈を間違うのだから。あ、ロードショー10月号で『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』にカラー4Pも割いてるんだけど(スクリーン9月号は単色1P弱なのに!)、ここのデータ部分でもプレスのまんまマーゴの作品として挙げてる(笑)。ひょっとして本チャンのプログラムもこのままなのかな? うひー、恥ずかしいぃ。

ちなみに映画秘宝10月号によると、屋根裏のフロアは全部リッチーの部屋で、3階はマーゴのフロア、2階は全部チャスの部屋らしい。1階は母エセルの考古学研究室、ブリッジ教室も開ける広いリビングなどがある。とすると、リッチーがテントを張る舞踏室は何階だろう? ロイヤルの病室になるのはリッチーの屋根裏だとして……うーむ、1回しか観てないのでよくわからん。劇場で各自で確認してみてもらうことにしよう。(3/5) →次ページへ
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Column1:Hidemaro Kajiura
『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』と天才ウェス・アンダーソン監督の世界
Column2:Toru Hachiga
『ザ・ロイヤル・ネテンバウムズ』サウンドトラックを聴きながら

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