1961年3月29日、イギリス・ランカシャー州のブラックバーン(Blackburn)生まれ。ここは『24アワー・パーティ・ピープル』の舞台マンチェスターの近郊である。で、『日蔭のふたり』の架空の大学町クライストミンスターのモデルであるオックスフォード大学で、英文学を専攻。卒業後、ブリストルやロンドンで映画制作の技術を学ぶ。テムズTVで編集に携わっていたとか。TV界でのキャリアの初期にイングマル・ベルイマン監督に関するドキュメンタリーを2本作っているらしいが詳細は不明。

わかるTV用作品を並べると…‥。
マイケル・ウィンターボトム監督
86年『Boon』シリーズの一部(出演:マイケル・エルフィック、レイチェル・デイヴィス他)、90年『Forget About Me』(出演:アッティラ・グランドピエール他)、92年『Under the Sun』(出演:ケイト・ハーディ、ステラ・メイリス他)、93年(92年説も)『Ngaio Marsh's Alleyn Mysteries』シリーズの一話「Death at the Bar」(原作:ナイオ・マーシュ/出演:ポール・ブルック、パトリック・マラハイド、ケイト・ハーディ他)、同じ93年『心理探偵フィッツ(Cracker)』の2時間パイロット版「告白の罠(原題:The Mad Woman in The Attic=屋根裏の狂女)」(出演:ロビー・コルトレイン、クリストファー・エクルストン他→96年10月にNHK衛星放送にて放映)、94年(92年説も)『Love Lies Bleeding』(出演:マーク・ライランス、ジェイムズ・ライランス、ティム・ローン他)などを監督。同じ94年発表の、4話からなるミニシリーズ『Family』(脚本:ロディ・ドイル/音楽:エルヴィス・コステロ、ジョン・ハール)で、ライターズ・ギルドのシリアル・ドラマ賞、王立TV協会ドラマシリーズ賞、“ヨーロッパ大賞”の94年ヨーロッパTV番組賞を受賞し、95年のイギリス・アカデミー賞シリアル賞候補にもなった。そして95年、TV用に監督した『GO NOW』が、エジンバラ映画祭でプレミア上映されて評判を呼び、各国で劇場公開されることとなった(この作品で「ヨーロッパ大賞受賞」とする記事資料も複数あるが、確認できず)。ここから映画監督としてのキャリアがスタートする。以下、作品毎にちょっとコメントしつつ紹介。

脚本:ジミー・マクガヴァン、ポール・ヘンリー・パウエル/出演:ロバート・カーライル、ジュリエット・オーブリー、ジェイムズ・ネスビット他
95年、もともとはTV用に作られた『GO NOW』はいわゆる「闘病もの」。「病める時も健やかなる時も」ってな結婚式の決め台詞を、具体的にどう実践するか、その困難と克服をリアルに、繊細に描いた理想的な「ラブ・ストーリー」である。地方都市ブリストルで石工をしながらサッカー・チームでヘボ・ストライカーやってるニック(ロバート・カーライル)が、クラブでウェイトレスのカレン(ジュリエット・オーブリー)と出会い、あっという間に恋に落ちて同棲。仲間達との交流もコミカルに描かれるって前半があって(セックス・ジョークしか言えないトニーという友人のキャラが秀逸!)、やがてMS(多発性硬化症)を発病したニックが、恋人や周囲、親兄弟とギクシャクしてゆく様を、ディテールまで突っ込んで描写する後半(やたら雨のシーンが多かった記憶があるなぁ)まで、独特の淡々としたリズムで魅せる。トリッキー出演のライブ・シーンを始めとして、マッシヴ・アタック、ポーティスヘッドなどブリストル発のブリティッシュ・ロックと、懐かし系レゲエで映画を彩る。今、ふと去年観た日本映画『AIKI』をちょっと思い出したが、さて、同趣向なんだけど結末の締めくくり方やヒロイン造型で比較してみると、フィクション・バランスとしてはどちらがいいのかは微妙だ。日本公開は1997年10月、つまり日本での紹介は2作目になる。

出演:アマンダ・プラマー、サスキア・リーヴス
95年、劇場用長篇映画デビュー作。北西イングランドを舞台にした「女性シリアル・キラーもの」(?)、というか「女性二人のロードムービー」というか…‥。クランベリーズやビョークをBGMに、ちょいサイコな「レズもの」めいた気配を漂わせつつ、時折ユーモアも交えて淡々とドライに転がっていく展開が格好いい映画だ。奇妙な贖罪意識で旅するキチガイ女ユーニス=ユー。鎖とピアスを下着代わりにし、「ジュディス」を探し続けては、殺しを繰り返す彼女と出会ってしまったガソリン・スタンド店員のミリアム=ミー。ユーに惹かれたミーは、彼女に愛されようと、あるいは彼女を救おうとして、「ジュディス」探しの旅に同行する…‥ってな感じ。ヒリヒリする「愛」をめぐる真摯な寓話とも言える。題名は「これは天使のキスじゃない、蝶々のキスさ」ってなユーの台詞から。なるべく説明を省いたクールな展開が観る者への吸引力を発揮している。例えば、ひょっとしてユーニスが最初に殺したのが「ジュディス」なのではないか、と観客にいろいろ思わせつつ明確にしない演出とかも(好みはあるけど)いい感じだ。ミリアム役のサスキア・リーヴス(『橋の上の貴婦人』『GO! GO! L.A.』など)は、この後『HEART』で息子の心臓を求めて彷徨う羽目になったりしていた。そしてボディピアスに17か所のタトゥーを持つキョーレツな出で立ちのユーニス役は『パルプ・フィクション』でティム・ロスと組んでレストラン強盗として登場したアマンダ・プラマー。凶悪なキチガイなりきり演技は凄過ぎる迫力。日本での紹介は1998年5月だから、3番目になる。『日蔭のふたり』の後にコレを観たという多くのウィンターボトム監督ファンの驚きについては、淀川長治のコメントに代表してもらおう。

出演:クリストファー・エクルストン、ケイト・ウィンスレット、レイチェル・グリフィス他
96年、長篇2作目はトマス・ハーディの原作『日蔭者ヂュード』(岩波文庫、新訳『日陰者ジュード』国書刊行会)を映画化した文芸大作。カンヌ国際映画祭の監督週間でプレミア上映され、エジンバラ映画祭では最優秀作品ザ・マイケル・パウエル賞を受賞。神の認めた結婚しか許されないという19世紀イギリスを舞台に、石工をしながらラテン語・ギリシャ語文学の独学に励む主人公が、結婚の失敗と世間の因習に苦しめられることになる物語だ。「結婚に失敗する家系」と自嘲する大伯母に育てられたフォーリー家の孤児ジュードは、田舎の学校の先生の教えに従い、クライストミンスターの大学(モデルはオックスフォード大学)に行きたいと独学に励む。が、豚飼いの娘アラベラとできちゃった婚をして、でもできてなかったらしいのと、豚殺しに嫌気がさし、愛が冷めたと思った妻に出奔されてしまう。で、一人クライストミンスターに出て、石工をしながら大学への入学を望むが叶わない。同じ町にいた従姉妹のスーの「新しい女性」ぶりに惹かれ、彼女もその素振りを見せるが、教職志望の彼女のために、かつての先生に紹介したところ、様々な状況から結婚することになってしまう。だが失意の彼を、やはり彼女は愛していたのだ。各地を転々としながら生活の糧を探し続ける二人。オーストラリアに去ったはずのかつての妻とも何度か再会し、別れて8ヶ月でできたという息子を引き取ることになり、スーとも未婚のまま2人の子供ができる。世間の冷たい目に耐えて、再びクライストミンスターに戻った彼らを、だが衝撃的な悲劇が襲う…‥。「学問(合理的理性的思考)VS信仰(迷信も含む社会的慣習としての宗教)において学問は破れ去る」という抽象的なテーマを、具体的に肌身でわかるカタチに描いた悲劇である。スー役のケイト・ウィンスレット(その後『タイタニック』『グッバイ・モロッコ』『クイルズ』などに出演)の豊満な裸身や出産シーンを、赤裸々に映す感覚が面白かった。彼女が若き日の奔放な女流作家を演じた『アイリス』でのサイクリング・シーンは、この映画そっくりだったりする。あ、最初の妻アラベラ役のレイチェル・グリフィスは『マイ・スウィート・シェフィールド』『エイミー』『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』『シャンプー台のむこうに』『ブロウ』などに出てる。1997年8月日本公開、つまり『日蔭のふたり』でウィンターボトム監督は日本初お披露目となったのだ。

出演:スティーブン・ディレイン、ウディ・ハレルソン、マリサ・トメイ他
97年。3作目は実話を元に、ボスニア内戦時の現地マスコミの周辺をドキュメンタリー・タッチで描くもの。「記者である前に人間であることを選べ」ってな明解なメッセージ性もあるけど、たぶん主眼はもっと複雑で、内戦下の人々の生活そのものをリアルに描くことだったり、救い出された短髪の少女がフォトジェニックな美少女に成長する姿だったり(そこがいいってのは僕だけかな?)、国際世論や国連への辛辣な批判だったり…‥するのかもしれない。ブラー、マッシヴ・アタック、ストーン・ローゼス、ハッピー・マンデーズ、ハウス・オブ・ラブなどのUKサウンドが、戦場の風景を彩っている。フェイク・ドキュメンタリー手法には若干の批判もある(ぬるいとか政治的に鈍いとか)が、僕は社会派社会派してないって感じが、適度な問いかけだと思うので絶賛したい。映画はひとまず「ようこそサラエボへ」ってな入門編の立場にいて、大状況的に民族紛争を語ろうなんてしてないワケだし。日本公開は1998年7月。日本紹介4作目にして、彼の名を決定的に印象づけた傑作。

出演:レイチェル・ワイズ、アレッサンドロ・ニヴォラ、ルカ・ペトルシック、ラビナ・ミテフスカ他
1998年のベルリン国際映画祭コンペ部門に出品され、銀熊賞を受賞した劇場長篇4作目。海辺の町ファーヘイヴン(ヘイスティングがロケ地)を舞台に、ヒリヒリした渇望に似た感触が、エルビス・コステロの歌うテーマ「アイ・ウォント・ユー」と相まって全編に満ちるサスペンス・ラブ・ストーリー。母の自殺のショックで口を聞かなくなったホンダ少年(ルカ・ペトルシック)の見た、ある哀しい「恋愛事件」って趣きなのだが、若干舌足らずか。赤と青の色彩設計によるシーン毎の心理描写、ライブ映像の挿入、盗聴癖のある少年ホンダから見た荒れた視点などといった「映像的試み」と、複数視点で物事の見方が変わる事態への主題的アプローチが、少し噛み合って無いのかも。少年は一目惚れの弱味から、女性保護観察官はモチロン相手の犯罪歴から、かつての恋人ヘレン(レイチェル・ワイズ)を追い回してしまうマーティン(アレッサンドロ・ニヴォラ)を悪者と決めつけるのだが、実は…‥みたいな話で、謎としても観客の騙し方としても、ちょっといただけない。また、奇矯なキャラであるホンダとその姉でライブ歌手のスモーキー(ラビナ・ミテフスカ)とお爺ちゃんってヘンテコ一家(爺ちゃんはただの近所の人かも?)の方に、僕らの興味がいき過ぎちゃって、マクガフィンの域を超えてるようでもある。というか、砂浜に打ち寄せる遺物(化石や奇岩)を拾うようにして、この「恋愛事件」を拾ってしまった少年、という枠が、ちょっと壊れちゃってるのだ。その分、奇妙な「複数の」人間ドラマの魅力があったりもするんだけど…‥。あ、「エロティック・サスペンス」なんて評もあるなぁ(笑)。ま、凝った火サスとかそういう感じの小品。既に『チェーン・リアクション』『インディアナポリスの夏』『輝きの海』『スカートの翼ひろげて』などに出ていたレイチェル・ワイズの、女優としてのターニング・ポイントとなったようで、この後『ハムナプトラ・失われた砂漠の都』『スターリングラード』『ハムナプトラ2 黄金のピラミッド』といったメジャー作で活躍するのだ。1999年1月日本公開、ってことは日本では5番目の紹介作か。ビデオ題は『I Want You あなたが欲しい』で、今出回ってるプレス資料では『あなたが欲しい』にされてるのも多い。

出演:デヴラ・カーワン、クリストファー・エクルストン、イヴァン・アタル他
99年の5作目。一転して「ラブコメ」に挑戦、と作風の違いを評する向きも多いが、出だしの感触は『GO NOW』みたいだし、夫は『日蔭のふたり』のクリストファー・エクルストンだし、僕は結構ヒヤヒヤして観た。不妊に悩む結婚5年目の夫婦って方向が見えてきて、「あ、男性側に問題があることになると『GO NOW』だよなぁ」と思っていると、フランスから妻の「元」文通友達ってのが突然現れて、掻き回す展開に。妻の実家を手伝うために警官を辞めたことを悔いはじめる夫の姿は『日蔭のふたり』にダブり、でも相変わらず激しいファック・シーン描写は健在で、物凄く心配しながら観てしまったので、何だかハッピーなオチってのは、ちと呆気無かったりして…‥。でもラブコメにしては野暮ったいのは、やはり地域的リアリティへの細かいこだわりが随所にあるからかも。なにせ舞台となる町は北アイルランドのベルファースト、夫婦は労働者階級の共稼ぎ、なんてのを律儀に肉付けしてあるからなぁ。やはりウィンターボトム味はしっかりするリアル恋愛騒動もの、ではあるのだ。しかしフランスからの闖入者のロマンチック野郎の今後だけは心配(笑)。アイルランド問題に詳しいと、より愉しめるのかも(ココが参考になる)。そうそう、原題はU2の曲「With or Without You」から来ていて、80年代英国音楽(アイルランド・ロックか?)がBGMなのだった。そういやU2のボノが主人公の友人として本人役で出てくる、苦い恋愛論映画『ウィズアウト・ユー』(原題は『Entropy』、監督は『U2/魂の叫び』のフィル・ジョアノー)ってのもあった。あ、『いつまでも二人で』の日本公開は2000年11月。

音楽:マイケル・ナイマン/出演:ジナ・マッキー、モリー・パーカー、シャーリー・ヘンダースン、イアン・ハート、エンゾ・チレンティ、サラ=ジェーン・ポッツ他
99年カンヌ国際映画祭コンペ部門に出品、イギリス・インディペンデント・スピリット・アワードを受賞、2000年BAFTA(英国アカデミー賞)最優秀英国映画にノミネート。現代のロンドンを舞台に、手持ちカメラがひとつの家族=6人+αを順繰りに追ってゆくって展開のリアル・ファミリー・ロマンス。微妙に性格の悪い三人姉妹が中心となっている。まず27歳のナディアは伝言ダイヤルにハマってる。相手に会って気に入らなければ逃げ、気に入ったらすぐ寝ては捨てられるパターンのようだ。で、そのすぐ上の姉モリーは臨月なので、夫のエディの悩みに無頓着。産まれてくる子の名前でちょいモメるってのが、原題に引っ掛かる伏線となる。長姉で理容師のデビーは息子ジャックを一人で育ててる。たまにナディアに子守りをさせて、美容室に男を連れ込んだり。離婚した夫が、定期的に息子に会いにくる。この三姉妹の母アイリーンはいつもヒステリー気味。夫のビルは腑甲斐ないし隣の犬はうるさいし(ビンゴも当たらないし)気が狂いそう。憎みあう両親を見るのが嫌で(たぶん)家出した一家の息子ダレンは、偶然ロンドンに恋人と旅行に来てたりする。オマケで実家の近所のフランクリン青年は、電器屋店員をやりつつも引きこもり気味で、母ドナの小言にもうんざりしている。さて、彼らの運命は?ってな話だ。これらに夜のロンドンの市街地の風景が頻繁に挿入される。で、リアルになんとなく事件が起きて、リアルになんとなく解決して…‥って調子。たぶん主役は「夜の街の明かり」である。あるいは「みんな愛を探してるんだよ、さまざまなカタチで…」という“想いそのもの”かもしれん。熱く感情移入できる程には共感的に描かれていない、このキャラ達への距離がクールだ。あとタイトル惚れする作品でもあるな。僕は原題の似ている(ある種ストーリーも似ている)『ワンダーランド駅で[Next Stop Wonderland]』(ブラッド・アンダーソン監督)の方が、内容的には好きなんだけど…‥。日本公開は2000年9月。

音楽:マイケル・ナイマン/出演:ピーター・ミュラン、ウェス・ベントレー、ミラ・ジョヴォヴィッチ、サラ・ポーリー、ナスターシャ・キンスキー他
2000年。ウィンターボトム監督作としては初めてアメリカで製作された大河文芸ドラマ。原作は『日蔭のふたり』と同じトマス・ハーディ。彼の『カスターブリッジの市長』(邦訳は潮文庫)を元に、舞台をカリフォルニア州シエラネバダの雪深い山中の町キングダム・カムに置き換えて映画化したもの。1867年、鉄道敷設を調査検討するために、この町にやって来た主任測量技師ダルグリッシュは、町に君臨するダニエル・ディロンの歓待に対し、高潔で公平な調査を主張する。彼ら測量隊と一緒に町にやって来た母娘には、ディロンとの過去の因縁があったようだ。その娘ホープに惹かれるダルグリッシュ。そしてディロンの庇護で酒場を切り盛りする美しい女主人の野心が絡み、かつてゴールドラッシュで湧いた町に、神話的な悲劇が訪れる…‥。原題『The Claim』は「(金鉱)採掘権」という意味。ぶっちゃければ、採掘権と引き換えに妻子を売り渡した男の、一代興亡記なんだけど、ウィンターボトムはやっぱり群像劇にしちゃうのだった。移民魂を爆発させるディロンの情婦ルシア役をミラ・ジョヴォヴィッチが熱演、ダブル・ヒロインの片方、「運命の娘」ホープ役は『スウィート・ヒアアフター』のサラ・ポーリー。あ、その病弱な母をナスターシャ・キンスキーがやってるってのは映画が終わってから気がついた…‥地味だ。『アメリカン・ビューティー』のビデオ少年(兼ドラッグ王?)リッキーを演じてたウェス・ベントレーが一応の主役ダルグリッシュなんだけど、真の主役は原作題から想像つくように「町のキング」ディロンを演じたピーター・ミュラン(『トレイン・スポッティング』『マイ・ネーム・イズ・ジョー』『セッション9』など)である。映画の中盤で森の中を家ごと引っ張って移動させるシーンがあって、ちょっと『シッピング・ニュース』を思い出したりした。何もない荒野に町を一個作っちゃって、そこの建築中の教会で結婚式したりとか、西部開拓時代のなごりを思わせる雄大さもいい感じ。馬の名演技もあった。観てると雪山の寒さがこっちにまでしんしんと迫ってくる感じがする「いい映画」である。ちなみに『ギャング・オブ・ニューヨーク』は1861→76年あたりのNYの話だったので、ほぼ同時代なのだ、というのもちょい驚きがある。日本公開は2002年12月。
2002年。世界的に有名なインディーズ・レーベル、ファクトリー・レコードのアーティスト、ジョイ・ディヴィジョン(→ニュー・オーダー)やハッピー・マンデーズを中心としたマンチェスターの音楽シーンを、1976年から1992年あたりまで約16年間に渡る記録映画もどきに、もといフェイク・ドキュメンタリー風に描き出した群像劇。ファクトリー・レコード主宰者のひとりトニー・ウィルソンを狂言回しにして、手際よくつかみ取った「一時代」の姿は、実にルーズかつラディカルで楽しそう過ぎる(笑)。ウィンターボトム監督の得意技、「リアル感アリアリなのにちゃんと物語的感動がある」ってフェイク・ドキュメンタリー手法が冴える傑作だと僕は思ってる。詳しくはレヴュー参照。日本公開は2003年3月22日。
2002年
『イン・ディス・ワールド(この世界で)[In This World]』(別題『シルクロード[The Silk Road]』?)
アフガニスタンの戦火を逃れ、英国へ向かう二人の不法移民少年の姿を描いたドキュメンタリー・ドラマ、らしい。2003年2月15日、ベルリン映画際で金熊賞受賞。スタジオ・ボイス3月号の記事などで「パキスタンで撮影された新作『シルクロード』」とかいうのはコレのこと?…のようである(プレス資料には『Silkroad』とあるが、どうやらワーキング・タイトルが『The Silk Road』ってことらしい)。

2003年予定
『Code 46』(出演:イガワ・トーゴ、サマンサ・モートン、ティム・ロビンス)
未来版『逢びき』(デヴィッド・リーン監督の1945年の「渋い中年不倫もの」イギリス映画)ってな感じの「SF恋愛もの」らしい(!)。主演は『アイズ・ワイド・シャット』にも「裸の日本人」役で出てたという日系人イガワ・トーゴ? 上海、香港、インドやロンドンなどで撮影されているようだ。

2004年予定
『Freedomland』(出演:モーガン・フリーマン、ジュリアン・ムーア)
文春文庫で2000年に上下巻で邦訳の出たリチャード・プライス『フリーダムランド』(98)が原作。NYにほど近い、ニュージャージー州デンプシー市を舞台とした社会派サスペンス。この黒人やヒスパニック系の低所得者層が多い俗称“ダークタウン”の、比較的豊かな白人地域ギャノン市と境を接するアームストロング団地で、事件が起こる。大怪我をして「黒人に暴行され、幼い息子を乗せたまま車を奪われた」と病院に現れたシングルマザーの白人女性ブレンダ・マーティン。精神的に不安定な彼女の証言をもとに、捜査を始めるデンプシー市警の黒人刑事、愛称「ビッグ・ダディ」ことロレンゾだったが、どうも事件には謎があった。だがまずいことに被害者ブレンダの兄がキャノン市警だったことから、ひとりの黒人青年が強引に逮捕されてしまい、その抗議デモも勃発。しばらく落ち着いていたはずの人種的対立が、こうして一気に燃え上がってしまう。特ダネを追う女性記者ジェシーも絡んで、マスコミ報道も過熱気味となり、うだるような暑さの街では、緊張が一気に高まって危険な状態に陥ってゆく…‥ってな話。階級社会イギリスの現実を下から見て来たウィンターボトム監督が選んだ、人種・貧富の差による対立を抱える「自由の国」アメリカの病巣を衝く問題作ってとこか。うーむ、楽しみのような怖いような…‥。
彼の作品を、尺の長さ(上映時間)で2つのグループに分けて論じてみるのも手かもしれない。2時間前後のグループ(『バタフライ・キス』2時間3分、『日蔭のふたり』2時間3分、『ウェルカム・トゥ・サラエボ』1時間57分、『めぐり逢う大地』2時間1分、『24アワー・パーティ・ピープル』1時間55分)と、1時間半のグループ(『GO NOW』1時間23分、『アイ・ウォント・ユー』1時間27分、『いつまでも二人で』1時間30分)があって、内容にあった「尺」をきっちり選別しているようにも思える(ジャンルではなく)。で、『ひかりのまち』1時間49分ってのが微妙な位置にあるのに気がつく。ま、おおまかに2時間前後グループに入るんだろうけど。これは予算規模の違いとか「TV的/映画的」とか、「映像実験的/総力戦的」とか、
そういう深読みして遊ぶ時の参考にして欲しい。
日本での紹介順は、
まず『日蔭のふたり』[97-8]、2ヶ月後に『GO NOW』[97-10]、んで約半年後に『バタフライ・キス』[98-5]、その2ヶ月後に『ウェルカム・トゥ・サラエボ』[98-7]、また約半年後に『アイ・ウォント・ユー』[99-1]とわりとコンスタントに公開された後、しばらく空いて、1年8ヶ月ぶりに『ひかりのまち』[00-9]、その2ヶ月後に『いつまでも二人で』[00-11]があって、んでまたしてもしばらく空いて、約2年ぶりに『めぐり逢う大地』[02-12]、その3ヶ月後に『24アワー・パーティ・ピープル』[03-3]ってな順番。

実際の発表順は、
『GO NOW』『バタフライ・キス』『日蔭のふたり』『ウェルカム・トゥ・サラエボ』『アイ・ウォント・ユー』『いつまでも二人で』『ひかりのまち』『めぐり逢う大地』『24アワー・パーティ・ピープル』。

この「観た順の違い」ってのも、彼の作品の場合、結構大きいような気もする。『24アワー・パーティ・ピープル』で初めて観た人は、やっぱり『バタフライ・キス』に驚くんだろうなぁ。

Text:梶浦秀麿





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